03/25/2014 いくつになっても(渡辺 淳一):書評「女難の相」

渡辺淳一さんのことを
いろいろ言う人は多いが
私は嫌いではない。
いろいろ言われる『失楽園』系の作品は
割と読んできました。
最近はあまり読んでいませんが。
そんな渡辺淳一さんが
かつて日本経済新聞の「私の履歴書」に
登場したことがあります。
さすがにあそこでは
まじめでしたね。
もっといろいろ書いてくれたら
面白かったのに。
渡辺淳一さんも消化不良だったのか
「週刊現代」で
半生の記を綴っています。
今日紹介する『いくつになっても』は
それを単行本化したもの。
新聞では書けなかった
性のことも
ちゃんと書かれていますから、
このあとが楽しみです。
じゃあ、読もう。
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日本経済新聞の朝刊に掲載されている「私の履歴書」は人気コラムだ。
経済人だけでなく、政治家・文化人といった多種多様な著名人自身の手による半生の記。一人の人が一か月間の連載を受け持つ。
2013年の1月に登場したのが、作家の渡辺淳一氏であった。
渡辺淳一氏といえば、日本経済新聞に『失楽園』や『愛の流刑地』といった新聞小説を発表し、日本経済新聞の発行部数を引き上げた功績は大きいはず。
その氏がどんな半生を綴るのか期待が大きかったが、漠とした印象が残っただけである。
しかも、氏の初恋の相手とされる天才少女の死に関して事実と相違するとして、連載後「おわび文」が掲載されるといったこともあり、後味が悪い。
そのせいか、この本の初出となった「週刊現代」の連載は2013年5月から始まる。
新たに意を決して「履歴書」を綴ろうということかもしれない。
ここでは、「生まれて百日目」にある占い師によって出されたご託宣が「女難の相」であったことから書き起こされている。
日本経済新聞の「私の履歴書」と発表の場が違うせいか、性のこともかなり描かれているのが面白い。
渡辺淳一はそうでなくては、せっかく「女難の相」と占った占い師の面目はない。
「性の覚醒」という章でオナニーを初めて経験する場面がある。
札幌一中に入学したあとのことだ。渡辺氏とはいえ決して早い目覚めではない。
もちろん、後に渡辺氏が『阿寒に果つ』という作品で描くことになる天才少女加清(かせ)純子との出会いも描かれている。
初デートといっても、抱き締めあうことも、接吻もなく、ただ手を握り合っただけというのも、渡辺氏の作品を知るものにとっては微笑ましくもある。(その後、図書館等で会っていた二人だが、一度だけ接吻をしている)
本書には若い頃の渡辺氏と加清の写真も掲載されている。
しかし、加清は自ら命を絶つことになり、渡辺氏にとって彼女の存在は永遠に手にはいらないことになったのは周知のとおりだ。
あれからたくさんの水が橋の下を流れたにもかかわらず、氏にとって加清純子は永遠の女性なのだろう。
札幌医大に合格したところまでを描いたこの本は、日本経済新聞の「私の履歴書」で満足しなかった読者には、うってつけの一冊といえる。
(2014/03/25 投稿)

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