05/24/2009 魂とは何か さて死んだのは誰なのか:書評

いよいよ、この春出版された、池田晶子さんの「新刊」の3冊、
『死とは何か』(毎日新聞社)『私とは何か』(講談社)そして『魂とは何か』(トランスビュー)の、
最後の一冊です。
今回は「幸福」について書きました。
池田晶子さんのさまざまな文章を読むと、
池田晶子さんが「生」とか「死」とかにこだわっていたとも思えません。
もっと深いところの「生」を生きていたように思えますし、
もっと淡々と「死」を迎えられたように思えてなりません。
もちろん、違うかもしれませんが、
彼女が教えてくれたことは、
「生」とか「死」を超えたところにあるのではないでしょうか。
今、池田晶子さんは何をしているのか。
もちろん、愛犬と楽しく散歩しているにちがいない。
どこで?
私たちが知らない、「新しい世界」で。
私には、そう思えてなりません。
さあ、「哲学」しましょう。
![]() | 魂とは何か (2009/02/23) 池田 晶子 商品詳細を見る |


彼女は「幸福な人」であった。
本書は、2007年2月に亡くなった文筆家池田晶子さんの、未発表原稿や書籍未収録原稿を三つのテーマにして編まれた三冊のうちの一冊です。
本書には1999年に出版された『魂を考える』を大幅増補した作品を中心にして、自身の父のことや池田さんに大きな影響を与えた作家の埴谷雄高氏との交流録などが、そしてもちろん愛犬ダンディーのことも、収められています。
今回出版社という垣根を越えて、同じデザインで三冊の「新刊」が出ることは稀有なことだと思います。
三冊ともにある同じ内容の池田晶子さんのプロフィールによれば、「大風の止まない東京」で、「さいごまで原稿用紙とボールペンを手放すことなし」に逝ったとあります。もう二年以上も前のことです。それでいながら、こうして「新刊」が続々と出版される。そういう点でいえば、池田晶子さんこそ、稀有な書き手といっていいと思います。
では、池田晶子さんは「幸福」なのでしょうか。
平均寿命が八十歳を超えているこの国で、わずか四十六歳で死んでいった彼女は「幸福」なのでしょうか。
ここで私たちは「幸福とは何か」ということを考えなければなりません。「幸福」と感じるのは誰なのでしょう。当然それは主体である人です。この場合であれば、池田晶子さん自身。でも、池田晶子さんは「死んでいる」のです。「幸福」と感じることはできないはずです。
では、誰なのか。池田晶子さん自身が記したという墓碑銘「さて死んだのは誰か」に即して書けば、「さて幸福なのは誰か」ということになります。
池田晶子という書き手をもった出版社なのでしょうか。それとも、私たち読者なのでしょうか。
いえ、それ以前に「幸福とは何でしょう」。
池田晶子さんは本書収載の「天才の生き方について」という短文の中でこんなことを書いています。
「彼ら自身にあって、彼らが彼らであるということと、幸・不幸ということとは、別のことではなかったろうか」(242頁)。
そうです。池田晶子さんは池田晶子さんとしてあった。それ以上でも以下でもなかった。
私たちは池田晶子さんの死をまだ悼まない。私たちは池田晶子さんとともにまだ「考え」続けねばならないから。 「幸福」とは何か、ということをも含めて。
「生きることそれ自体が価値なのではない。善く生きることだけが価値である」(103頁・「魂を考える」) と書く、池田さんの文章にどれほど勇気づけられるでしょう。
(2009/05/24 投稿)
三冊ともにある同じ内容の池田晶子さんのプロフィールによれば、「大風の止まない東京」で、「さいごまで原稿用紙とボールペンを手放すことなし」に逝ったとあります。もう二年以上も前のことです。それでいながら、こうして「新刊」が続々と出版される。そういう点でいえば、池田晶子さんこそ、稀有な書き手といっていいと思います。
では、池田晶子さんは「幸福」なのでしょうか。
平均寿命が八十歳を超えているこの国で、わずか四十六歳で死んでいった彼女は「幸福」なのでしょうか。
ここで私たちは「幸福とは何か」ということを考えなければなりません。「幸福」と感じるのは誰なのでしょう。当然それは主体である人です。この場合であれば、池田晶子さん自身。でも、池田晶子さんは「死んでいる」のです。「幸福」と感じることはできないはずです。
では、誰なのか。池田晶子さん自身が記したという墓碑銘「さて死んだのは誰か」に即して書けば、「さて幸福なのは誰か」ということになります。
池田晶子という書き手をもった出版社なのでしょうか。それとも、私たち読者なのでしょうか。
いえ、それ以前に「幸福とは何でしょう」。
池田晶子さんは本書収載の「天才の生き方について」という短文の中でこんなことを書いています。
「彼ら自身にあって、彼らが彼らであるということと、幸・不幸ということとは、別のことではなかったろうか」(242頁)。
そうです。池田晶子さんは池田晶子さんとしてあった。それ以上でも以下でもなかった。
私たちは池田晶子さんの死をまだ悼まない。私たちは池田晶子さんとともにまだ「考え」続けねばならないから。 「幸福」とは何か、ということをも含めて。
「生きることそれ自体が価値なのではない。善く生きることだけが価値である」(103頁・「魂を考える」) と書く、池田さんの文章にどれほど勇気づけられるでしょう。
(2009/05/24 投稿)
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