05/25/2009 「阿修羅展」に行ってきました

これは、司馬遼太郎さんの『街道をゆく』の「奈良散歩」の中の一節です。


平日の午前というのに、すでに待ち時間が40分。
これでもいい方かもしれません。
何しろ噂では1時間以上待ちとか聞いていましたから。
会場は東京・上野にある「東京国立博物館」。
東京の人はいいですよね。
混雑はあるとはいえ、こういう素晴らしい展覧会が
1500円で、気楽に見れるのですから。

国宝・八部衆像、国宝・十大弟子像、といった現存14体が勢揃いしています。
もちろん、メインは阿修羅像。
ちょっとその前に学習すると、興福寺創建1300年ということは、
創建されたのは和銅3年(710年)だそうです。
もちろん、私は生まれていません。
懐かしい「平城遷都」という言葉が歴史の教科書みたいです。
何しろ作ったのは、藤原鎌足の子、不比等ですから。
覚えています?
日本史で習ったでしょ。
和銅といえば、日本最古の貨幣として「和同開珎」というのが出てきます。
私の子供の頃は、これを「わどうかいほう」と習ったように思いますが、
今は「わどうかいちん」と呼ぶそうです。
これも今回の展示物に含まれています。

どこにあるかというと、
会場の三つめのエリアに置かれています。
ちょうど八部衆、十大弟子像のあと、
なんか、わくわくします。
その前に、司馬遼太郎さんの文章をもう一度見ておきましょう。
阿修羅はもとは古代ペルシャの神だったのですが、
次第に悪神になって「闘争してやまぬ者」といわれるようになります。
しかしながら興福寺の阿修羅には、むしろ愛がたたえられている。
少女とも少年ともみえる清らかな顔に、無垢の困惑ともいうべき
神秘的な表情がうかべられている。
顔も体も贅肉がなく、性が未分であるための心もとなさが
腰から下のはかなさにただよっている。眉のひそめかたは、
自我にくるしみつつも、聖なるものを感じてしまった心のとまどいを
あらわしている。すでにかれーあるいは彼女ーは合掌しているのである。
さすが司馬遼太郎さんの文章は美しく、的確です。
私は司馬さんの『街道をゆく』は、そういう美しい日本語の訓練として
読まれていいと思っています。

そして、スロープをゆっくり下ると、
阿修羅を間近にみることになります。
でも、阿修羅の周辺には何重にも人の垣ができていますから、
まずはその流れにのらないといけません。
正面のお顔から拝見します。
司馬さんが書いているように「眉をひそめ」たお顔です。
それから時計まわりに流れていきます。
やがて、向かって左側のお顔。
下唇をきっと噛みしめているようなお顔です。
そして、背中。
やがて、右顔のお顔が見えてきます。
もっともイケメンかもしれません。
このように阿修羅像は三面のお顔でできていますが、
よく見ると、そのどれもが左の表情と右のそれが微妙に違います。
ということは、六つの表情が隠れていることになります。
あるいは、このように巡ることで、
顔に射しこむ光とそれで生まれる影が動きますから、
無数の表情を見ることになります。
司馬さんの文章をなぞれば、「かれーあるいは彼女ー」は、
私たちの心のままに表情をかえられるのかもしれません。
また、背中から拝見していると、それはやはり少年のようでもあるし、
やはりここは司馬さんのおっしゃった「未分の性」がぴったりなのでしょう。

大江健三郎さんの「定義集」という連載エッセイで、
大江さんの「阿修羅展」の感想が書かれています。
大江さんはこう書いています。
いつの間にか、阿修羅像を囲んで時計廻りにジリジリ歩を進める、
穏やかな群集(と言いたい)の一員になっていた
大江さんの書いている「穏やかな群集」というのは、
大江さんの癖のようなユーモアな表現でしょうか。
私の周りにいた人たちは決して「穏やかな群集」ではありませんでしたが。
大江さんの文章は続きます。
それでも(あるいはそれゆえに)見上げるたびに変容する(とも言いたい)
像の顔かたちの、微妙かつ確実な、新しい現われにうたれました。
この回のタイトルに、大江健三郎さんは「知的で静かな悲しみの表現」と
つけています。

もっと静かなところで阿修羅と向き合いたかった、
ですかね。
司馬さんは旅のおわりに同行の人からこう訊ねられます。
「こういうひと、見たことがありますか」
司馬さんはこう、答えます。
見た瞬間があると、たれでも。
果たして、私は阿修羅と出会ったことがあったのでしょうか。
最後に、いつものように一句。
おしゃべりな日傘列なす阿修羅展
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