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本    阿修羅は、相変わらず蠱惑(こわく)的だった。

 これは、司馬遼太郎さんの『街道をゆく』の「奈良散歩」の中の一節です。

本 ということで、今回は今すごい人気だという「阿修羅展」に行ってきました。
 阿修羅
 平日の午前というのに、すでに待ち時間が40分。
 これでもいい方かもしれません。
 何しろ噂では1時間以上待ちとか聞いていましたから。
 会場は東京・上野にある「東京国立博物館」。
 東京の人はいいですよね。
 混雑はあるとはいえ、こういう素晴らしい展覧会が
 1500円で、気楽に見れるのですから。


本 今回の「阿修羅展」は興福寺創建1300年記念ということで、
 国宝・八部衆像国宝・十大弟子像、といった現存14体が勢揃いしています。
 もちろん、メインは阿修羅像
 ちょっとその前に学習すると、興福寺創建1300年ということは、
 創建されたのは和銅3年(710年)だそうです。
 もちろん、私は生まれていません。
 懐かしい「平城遷都」という言葉が歴史の教科書みたいです。
 何しろ作ったのは、藤原鎌足の子、不比等ですから。
 覚えています?
 日本史で習ったでしょ。
 和銅といえば、日本最古の貨幣として「和同開珎」というのが出てきます。
 私の子供の頃は、これを「わどうかいほう」と習ったように思いますが、
 今は「わどうかいちん」と呼ぶそうです。
 これも今回の展示物に含まれています。

本 さて、阿修羅です。
 どこにあるかというと、
 会場の三つめのエリアに置かれています。
 ちょうど八部衆、十大弟子像のあと、
 なんか、わくわくします。
 その前に、司馬遼太郎さんの文章をもう一度見ておきましょう。
 阿修羅はもとは古代ペルシャの神だったのですが、
 次第に悪神になって「闘争してやまぬ者」といわれるようになります。

    しかしながら興福寺の阿修羅には、むしろ愛がたたえられている。
    少女とも少年ともみえる清らかな顔に、無垢の困惑ともいうべき
    神秘的な表情がうかべられている。

    顔も体も贅肉がなく、性が未分であるための心もとなさが
    腰から下のはかなさにただよっている。眉のひそめかたは、
    自我にくるしみつつも、聖なるものを感じてしまった心のとまどいを
    あらわしている。すでにかれーあるいは彼女ーは合掌しているのである。

 さすが司馬遼太郎さんの文章は美しく、的確です。
 私は司馬さんの『街道をゆく』は、そういう美しい日本語の訓練として
 読まれていいと思っています。
本 会場に戻れば、まず阿修羅を少し高い位置からみれる場所にでます。
 そして、スロープをゆっくり下ると、
 阿修羅を間近にみることになります。
 でも、阿修羅の周辺には何重にも人の垣ができていますから、
 まずはその流れにのらないといけません。
 正面のお顔から拝見します。
 司馬さんが書いているように「眉をひそめ」たお顔です。
 それから時計まわりに流れていきます。
 やがて、向かって左側のお顔。
 下唇をきっと噛みしめているようなお顔です。
 そして、背中。
 やがて、右顔のお顔が見えてきます。
 もっともイケメンかもしれません。
 このように阿修羅像は三面のお顔でできていますが、
 よく見ると、そのどれもが左の表情と右のそれが微妙に違います。
 ということは、六つの表情が隠れていることになります。
 あるいは、このように巡ることで、
 顔に射しこむ光とそれで生まれる影が動きますから、
 無数の表情を見ることになります。
 司馬さんの文章をなぞれば、「かれーあるいは彼女ー」は、
 私たちの心のままに表情をかえられるのかもしれません。
 また、背中から拝見していると、それはやはり少年のようでもあるし、
 やはりここは司馬さんのおっしゃった「未分の性」がぴったりなのでしょう。

本 5月19日の「朝日新聞」に掲載された、
 大江健三郎さんの「定義集」という連載エッセイで、
 大江さんの「阿修羅展」の感想が書かれています。
 大江さんはこう書いています。

    いつの間にか、阿修羅像を囲んで時計廻りにジリジリ歩を進める、
    穏やかな群集(と言いたい)の一員になっていた


 大江さんの書いている「穏やかな群集」というのは、
 大江さんの癖のようなユーモアな表現でしょうか。
 私の周りにいた人たちは決して「穏やかな群集」ではありませんでしたが。
 大江さんの文章は続きます。

    それでも(あるいはそれゆえに)見上げるたびに変容する(とも言いたい)
    像の顔かたちの、微妙かつ確実な、新しい現われにうたれました。

 この回のタイトルに、大江健三郎さんは「知的で静かな悲しみの表現」と
 つけています。

本 さて、今回の展覧会は正直にいうと、
 もっと静かなところで阿修羅と向き合いたかった、
 ですかね。

 司馬さんは旅のおわりに同行の人からこう訊ねられます。
 「こういうひと、見たことがありますか」
 司馬さんはこう、答えます。

    見た瞬間があると、たれでも。
 
 果たして、私は阿修羅と出会ったことがあったのでしょうか。

 最後に、いつものように一句。

    おしゃべりな日傘列なす阿修羅展
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