
せんだっての書評の中で
「八月は悲しみの月」と書いたが
今日紹介する「百年文庫」の97巻めは
死を描いた短編3編を収めた「惜」です。
この「百年文庫」のシリーズの素晴らしいところは
今ではなかなか読めなくなった作家たちの
作品を読めるところも
その一つ。
このシリーズを編集した人たちの
見識の見事さに
いつも感心します。
この巻でも宇野浩二とか
松永延造といった作家は
ほとんど読んだ人がいないのでは
ないでしょうか。
書評にも書きましたが、
今回の中では
洲之内徹の「赤まんま忌」が
抜群にいい。
これだけでも読んでもらいたい。
じゃあ、読もう。
![]() | 惜 (百年文庫) (2011/10) 宇野 浩二、洲之内 徹 他 商品詳細を見る |

人の死はどうして悲しいのでしょう。
それまでそこにあった命が、そしてそれがいつか死によって終わってしまうということを理解していたとしても、それがいつまでも続くと意識しないまでも思っているからでしょうか。
思っている。それすらない。命があり続けることが当然なのに、理不尽にも死を迎えることにっ戸惑いがある。その戸惑いを隠すために、涙が流れるのかしらん。
「百年文庫」の97巻めは、死に向かい合ったものたちの想いを描いた短編3編が収められている。
宇野浩二の「枯木のある風景」、松永延造の「ラ氏の笛」、そして洲之内徹の「赤まんま忌」。
つけられた漢字一文字のタイトルは、「惜」。
3編の短編のうち、洲之内徹の「赤まんま忌」がよかった。
洲之内は『気まぐれ美術館』などで有名な美術評論家だが、この「赤まんま忌」では交通事故で亡くした三男を見送った日のことがらが、まるで絵画を読み解くようにして描かれている。
病院の安置所で横たわる三男の姿、突然の訃報に動顛する妻の動作、冷静にそれをみている著者であるが、亡くなってから迎えた一人の夜に物干台で慟哭する。
「死んだ者を思う苦しさは、死んだ者への心残りの苦しさだが、ろくでなしの父親の私には、なにもかもが心残りなのであった」。
肉親の死を描いて、文学作品の高みまで昇りつめた、いい短編だ。
宇野浩二は長く芥川賞の選考委員と務めたほどの文壇の重鎮であったが、近年あまり読まれることはないのではないか。
私もこの集に収録された「枯木のある風景」が初めての宇野浩二体験だった。
画家の突然な死を描きながら、絵画の論じる内容は極めて知的な作品である。この作品は画家の小出楢重がモデルともいわれているそうだ。小出のことも知らない人が多いだろうが、明治から大正にかけて活躍した画家である。岩波文庫から随筆集も出ていた。
松永延造のことはもっと知らない。この集の解説によれば「日本の風土に生まれたドストエフスキー」だという。
「ラ氏の笛」という作品はラオチャンドというインド人が日本の地で病となり死んでいく話。しみじみと心に沁みてくる短編である。
(2014/08/23 投稿)

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