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本 昨日の続きです。
 パチパチパチ。あ、これ、拍手の練習です。
 よし。大丈夫。いよいよ、100万円の贈呈式です。

 まずは、「マンガ大賞」のよしながふみさん。
 きれいなお嬢様。辰巳さんとのW受賞を素直に喜んでおられました。
 次に、同じく「マンガ大賞」の辰巳ヨシヒロさん。
 辰巳ヨシヒロさんといえば、「劇画」の名付け親みたいな人。
 壇上で、高々と両手をあげて喜んでおられました。
 そして、おっしゃったのが、

   うれしくて、うれしくて、ルンルン

 という言葉。受賞の喜びが素直に出た、いい言葉でした。
 辰巳さんは若い頃にまだ東京進出前の手塚さんとも会われています。
 その時のことは「至福の3時間」だったそうです。
 今回受賞された『劇画漂流』の中にもその時のエピソードが出てきます。

 次は「新生賞」の丸尾末広さん。
 若い頃に作品をみてもらおうと色々な人に作品を送ったが、
 返事があったのは手塚治虫さんと寺山修司さんだったそうです。
 最後は「短編賞」の中村光さん。
 とってもお若いお嬢さんです。
 よしながふみさんもそうですが、
 こういう若い才能ってマンガでは当たり前なんでしょうかね。

 パチパチパチパチ。
 みなさん、副賞の100万円もらって、
 ちがった、
 正賞のアトムのブロンズ像に感激されていました。
 私の拍手も練習の成果がありました。

本 ここで、次のトークショーの準備もあって、休憩。
 トイレに行くと、なんと永井豪さんがいるではないですか。
 すごい。なにがすごいかわかりませんが。
 せっかくですから、永井豪さんがお使いになられた便器を
 使わさせて頂きました。
 ありがたや、ありがたや。
 席に戻る途中で、審査委員でもある竹宮恵子さんのおそばを
 通らさせてもらいました。
 あの『地球(テラ)へ・・・』の竹宮恵子さんですよ。
 どうだい、エヘン。

本 それでは後半のトークショーの始まりです。
 まずは、「マンガ大賞」受賞のよしながふみさんと、
 『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞を受賞した三浦しをんさん、
 三浦しをんさんはこの賞の選考委員でもあります、のトーク。
 題して「よしながさんとここだけのおしゃべり」。
 司会の方が「オフレコで」と小声で言ってましたが、
 書いちゃおうっと。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 基本は書けないということにしておきます。
 面白かったのでひとつ書いておくと、
 よしながさんの「少女マンガを描いているから、一度は財閥のお坊ちゃまを描いてみたい
 という言葉が印象に残りました。
 「カッコいいとムカツク」と言った、三浦しをんさんの言葉も面白かったですね。
 でも、こうしてアラサー(なのかな、まあそういうことで)のお二人の話ぶりを
 聞いていると、いいな、オジサン仲間にいれてよって言いたくなりますよね。
 もちろん、絶対無視でしょうが。
 あは。

本 次に、評論家で今回の選考委員でもある呉智英さんと、
 大阪のマンガ出版史の研究もされている中野晴行さんの、対談。
 題して「手塚治虫と劇画」。
 今回、この贈呈式に出てみようと思ったのは、
 手塚治虫さんと劇画の関係が話される、このトークがあったから。
 私としては期待のトークです。
 手塚治虫さんが劇画に対してすごくライバル意欲をもっていたのは、
 有名な話ですし、だから手塚治虫さんは青年漫画誌に
 多くの劇画調の作品も発表されています。
 そもそも劇画とは何かっていう議論を解決しないと
 なかなか難しい問題でもあるわけです。
 ですから、まず呉智英さんがそのあたりのことを説明されたのは
 すごくよかった。
 劇画とは物語が軸になっているもので、
 劇には激烈だとか激しい意味もある、ということです。
 ここでもうわからなくなるのですが、
 手塚治虫さんの『ジャングル大帝』といったような作品は
 劇画というくくりにははいらない。
 でも、あの作品の物語性は否定できないですよね。
 だから難しい問題だと思います。
 続いて、呉智英さんは「マンガと劇画は対立していない」と、
 話されます。
 結論を先に書くと、呉智英さんは、
 「対立ではなく、マンガの中の別の潮流」ということです。
 私は、物語性だけでなく、やはり描き方、タッチの違いはあると思います。
 呉智英さんは、1970年代、劇画がブームになった時、
 手塚治虫さんは「自分にも描ける」という自信があったとみています。

 ここから話は、劇画の誕生の時代にはいります。
 中野晴行さんはマンガの歴史にも詳しいですから、
 中野晴行さんが話の中心になります。
 戦後、マンガ出版において、東京は雑誌系、大阪は単行本系だったそうです。
 だから、手塚治虫さんも最初は大阪を舞台に活躍されていたのですが、
 やがて東京の進出してしまう。
 今回「マンガ大賞」を受賞した辰巳ヨシヒロさんの『劇画漂流』には
 そのあたりのことも書かれています。
 マンガを少し勉強した人は、戦後まもなく「貸本ブーム」があったことは
 ご存知だと思います。
 俗に「赤本」とか「阪本」と呼ばれています。
 そして、そんな時代に手塚治虫さんが描いたのが『新宝島』。
 これは、もうどれくらい売れたのかがわかっていない。
 一説には30万部から40万部売れたとかいう話もある。
 今回中野晴行さんは時代の紙事情からいって、
 「せいぜい4万部」ではないかと話しています。
 今後、これらももっと研究されていくでしょうが、
 配送とか本屋さんの事情とかも加味しないとたどりつけない
 課題だと思います。

 その中野晴行さんは、「手塚治虫と劇画」については、
 そもそも手塚治虫さんは自身の同級生に読ませるつもりで
 マンガを描いていた。だから大学生の頃の手塚さんの
 想定読者は大学生だったので、決して児童向けの作品を描いていたわけではない。
 だとしたら、劇画が出てきた時、「ライバル」という認識ではなく、
 やっと自分もそういう人たち向けに描ける時代となったと
 喜んでいたのではないか、と話されています。
 確かにマンガが子供向けだと決めたのは出版する側の事情もあったでしょう。
 手塚治虫さんも含めて、書き手はそのことに縛られることは、
 本当は嫌だったのかもしれません。

 呉智英さんと中野晴行さんの対談は、30分では短すぎる、
 有意義な内容でした。

本 これで、すべてのプログラムはおわりです。
最後にどうしても書いておきたいのですが、
 当日「第13回手塚治虫文化賞」の小冊子を頂いたのですが、
 それ以外に今回の記念に、
 『ジャングル大帝』のピンバッチも頂きました。
 手塚治虫文化賞2
 やったーっ!!
 我が家のお宝にさせて頂きます。
 ありがとうございました。
 パチパチパチ。
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