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プレゼント 書評こぼれ話

  今、神奈川近代文学館
  「須賀敦子の世界展」が開催されている。(~11月24日)
  その案内文の一節。

   作品のなかで須賀は、
   「書く」という行為を「私にとって息をするのと同じくらい大切なこと」と記しました。
   その思いが結実した作品群は、没後15年を経た今もなお読み継がれています。

  ここにあるように
  須賀敦子の作品は
  今なお読み継がれています。
  その秘密はどこにあるのか。
  今日紹介する
  松山巌さんの『須賀敦子の方へ』は
  そのことを考える上で
  とてもいい本です。
  松山巌さんは
  若い頃の須賀敦子が好きだったという
  サン=テグジュペリの『戦う操縦士』の
  一節を何度もこの本で引用している。
  書評に書けなかったので
  ここで書きとめておく。

    建築成った伽藍内の堂守や貸椅子係の職に就こうと考えるような人間は、
    すでにその瞬間から敗北者であると。
    それに反して、何人であれ、
    その胸中に建造すべき伽藍を抱いている者は、
    すでに勝利者なのである。

  須賀敦子の生き方は
  これからの私にも
  大いに参考になる。

  じゃあ、読もう。

須賀敦子の方へ須賀敦子の方へ
(2014/08/29)
松山 巖

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sai.wingpen  須賀敦子という美しい生き方                   

 作家でエッセイストの須賀敦子さんが69歳で亡くなったのは1998年だから、16年の歳月が過ぎたことになる。
 執筆活動にしてわずか10数年の作家ながら、今だにファンの途切れることはない。
 巨匠と呼ばれる人や文豪と称賛される作家たちがその死後ほとんど顧みられることのないことを思えば、そのこと自体不思議といえる。
 それほどに須賀の作品はあたたかく、時にそれは「追憶のエッセイ」と呼ばれるほどだ。

 本書は須賀の年下の友人として生前親交のあった作家で評論家の松山巌氏が須賀の若い日々をその生きた土地土地とともに描いた労作である。
 松山は『須賀敦子全集』でも詳細な年譜を作成した人物である。

 須賀敦子は1929年(昭和4年)2月兵庫県芦屋に生まれた。成長してカトリック系の学校に進み、入信もする。
 そのようなことを思えば、須賀の姿勢の良さが納得できる。
 同時に戦争という体験を得た世代として、須賀もまた過酷な青春期を過ごしたともいえる。
 松山は晩年の須賀のこんな言葉を書きとめている。
 「じぶんのあたまで、余裕をもってものを考えることの大切さを思う。五十年まえ、私たちはそう考えて出発したはずだった」。
 須賀が終戦後どのような思いで生きていたかしのばれる。

 そんな時期に須賀は宗教と出会う。
 宗教の問題になれば奥に踏み込むことは難しいが、松山は丁寧に須賀の妹や学友たちの声を拾いながら、須賀の心のうちを求めている。
 同時に父の愛人問題が須賀を苦しめる。
 須賀の短いながら豊饒な作家活動でそういうことも描いたことを松山は、「忘れたい記憶は歳を重ねれば重ねるほどかえって思い出し、忘れることができない。その忘れられない記憶も自分の人生だ」という美しい文章で綴っている。

 美しい文章は須賀の作品の特長でもある。
 難しいことを柔らかな言葉で表現する。それは海外で半生を過ごした須賀ならではのものといっていい。
 松山のこの本も須賀に負けじと美しい文章にあふれている。
 もし、須賀が生きて、この本を手にしていればどのような言葉を残しただろう。
 そんなことを思うだけで、心の奥に灯がともるような気がする。
  
(2014/11/12 投稿)

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