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   昨日
  原田マハさんの『奇跡の人』を
  紹介しましたが
  その中で
  アーサー・ペン監督の映画『奇跡の人』に
  少し触れました。
  実はこの映画は
  私が17歳の時に
  映画雑誌「キネマ旬報」の「読者の映画評」に
  掲載された作品でも
  あります。
  2009年12月にそのことを
  このブログで紹介したことがありますが
  今日は
  昨日の続きのようにして
  再録しておきます。
  機会があれば
  またぜひ観てみたい
  映画です。
  それにしても
  17歳の私は暗いなぁ。

  じゃあ、観よう。

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sai.wingpen もし、うつむくことが一つの自己表現として許されるのなら、ぼくはうつむく若者でありたい。
 空をふりあおぐことだけが若者の特権であるというなら、ぼくはそれに反発したい。
 強い人間よりも弱い人間になりたい。
 近ごろのぼくは、しみじみそう思っていた。

 そんな頃、この<ふりあおぐ>映画を見た。
 それは、ぼくに対する挑戦だった。
 見ることも聞くことも、それにしゃべることもできない一人の少女がふりあおぐことによって得た”水”という言葉。
 そして、その少女をふりあおがせてみせた女先生。
 二人がかりでふりあおぐことのすばらしさを、喜びを、これでもかとばかり、うつむいたぼくに見せつけてくる。
 ぼくは、ただ、試写会の固い椅子の上で、身を震わせているだけだった。
 恐かったんだ。
 生きることに、これほどまでに執念を燃やす、二人の人間が。

 ぼくのまわりには、欲望を満たすだけのある程度の自由がある。
 その中で、ぼくは権力を持ちたくはないのだ。
 弱い人間でいたいのだ。
 しかし、少女には色も音もない暗黒の世界しかない。
 彼女は、自分のまわりの全てを知りたいのだ。
 欲望を満たしたいのだ。
 だから、彼女にはうつむくことは<死>であり、ふりあおぐことしかできないのだ。-彼女が、両手を宙にかざし、ヨロヨロと何か(!)を求めて歩くシーンは、ぼくを強烈にたたきのめした。
 だが・・・・。

 見終わった時、ぼくはやっぱりうつむいたままだった。
 三重苦をふりあおぐことによって乗り越えた少女を見たからといって、ぼくはふりあおげないんだ。
 ふりあおいで生きることはすばらしい。
 でも、ふりあおいで権力をもちたくない。
 ぼくは、うつむくことこそ、権力を捨てた、自己表示ではないかと思うのだ。


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