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06/25/2009    岸和田の血:書評
プレゼント 書評こぼれ話

  困った。
  実に、困った。
  今回の本の著者中場利一さんの生まれたところと、
  私が生まれたところは、実に近いのである。
  岸和田市磯ノ上町、ここまでは同じ。
  あとは番地のちがい。
  だから、この『岸和田の血』に出てくる、
  忠岡駅や春木駅周辺(いずれも南海電車の駅名)は
  当然ながら私には「あそこだ」とわかってしまうのです。
  それなのに物語の舞台となった「レンガ場」を、
  私は知らないのです。
  「もぐりやろ」と中場さんに怒鳴られそうですが、
  知らないから仕方がない。
  しかも、中場利一さんは1959年生まれですから、
  私と四つしか違わない。
  多分小学校(きっと大芝小学校)では同じ頃通っていたことになる。
  幸か不幸か(きっと幸でしょうが)、中学(この本にも出てくる春木中学)は、
  私が卒業してからですから、
  すれ違いでした。
  中場利一さんが『岸和田少年愚連隊』を書いたことも知っていましたが、
  読まなかったんですよね。
  なんか照れくさくて。
  でも、今回はずばり『岸和田の血』ですから、
  もううわーっていう感じです。
  岸和田の人はどう思っているのかな。
  まさか岸和田市の推薦図書になっているとも思えないのですが。
  今回の書評はそういう意味では、
  書きにくかったです。

岸和田の血岸和田の血
(2009/05/21)
中場 利一

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sai.wingpen  「醜(しこ)っている」小説               矢印 bk1書評ページへ

 私の故郷に「しこる」という方言がある。
 暴れる、という意味だろうか。小さい頃、母によく「しこりな」と叱られたものだ。
 どちらかといえば禍々しい感じのする意味不明のこの言葉に後年、司馬遼太郎の『街道をゆく』<河内みち>の中で出会った時には実にびっくりした。そして、その書かれている内容にはもっと驚いた。
 司馬の作品から引用する。「醜(しこ)というのは上代語では醜(みにくい)というより強悍という意味につかわれるし、乙女らはのっぺりとした雅士(みやびお)よりもあらくれた醜男(しこお)のほうに性的魅力を感じたりする。(中略)河内の国の古い村ではそういう古語がいまなお日常語として生きているのである」
 私にとって、なにげなく使っていた日常語「しこる」が上代から続く古語ということが少し恥ずかしくもあり、面映ゆくもあった。
 中場利一の『岸和田の血』は「醜(しこ)っている」小説だ。
 岸和田というのは、司馬が『街道をゆく』で旅した河内と隣接する、大阪南部の地方都市である。毎年死者がでるほどの荒々しい祭りとして、最近は全国的に有名になった「だんじりまつり」と、元プロ野球選手の清原和博の出身地、そして中場利一のデビュー作『岸和田少年愚連隊』と並べれば、この地方都市の性格なり風土が容易に想像できる。
 荒い土地柄である。
 この物語の舞台は、そんな岸和田の中でももっとも荒んだ、「人の悪口を言っては大笑いし、喧嘩と博打ばかり」の「通称レンガ場」と呼ばれるところである。

 ほとんど全編ケンカの場面がつづく。相手はやくざまがいの大人、隣町の番長、同じ学校の同級生と、主人公のチュンバ少年はまだ中学二年だというのに毎日ケンカと窃盗に明け暮れている。
 それなのに、一級下のかわいい少女リョーコがチュンバに魅かれるのは、司馬が指摘したように醜男(しこお)の「性的魅力」のせいだろうか。「不良というもの、昔から笑顔がすごく愛らしいものなのである」と、チュンバも心得ている。
 「浪曲と人と揉めるのが大好き」というチュンバの父トシオも、また醜男(しこお)である。その破壊力は当然チュンバ以上なのだが、彼もまた妻だけでなく多くの女性をひきつけている。
 つまり、作者がいう『岸和田の血』とは「醜男(しこお)の血」のなのだ。強悍な男たちの血なのだ。
 その昔男たちは生きるために獣たちと戦い、女たちのために敵と闘ってきた。勝ち残った男しか生き残れなかったし、子孫を残せなかった。そんな原始のような力強い世界がこの物語にある。

 私の故郷では「醜(しこ)っとるやろ」と言う時、なぜか晴々としている。あれは醜男の強い血をどこかで許している言い方である。誇りにしているのかもしれない。
 私の故郷は、そんな岸和田である。
  
(2009/06/25 投稿)
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