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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  吉野弘さんの詩集紹介の二日め
  ずばり、『吉野弘詩集』です。
  皆さんにお聞きしたいのですが
  最近詩集を開いたことが
  ありますか。
  梅雨のじめじめしたこの季節
  言葉の光を浴びるのも
  いいかもしれません。
  今日の書評にも書きましたが
  昔、十代の頃
  詩人にとても憧れていたことがあります。
  中原中也立原道造宮沢賢治
  どれもこれも
  切なくて
  ああ、このようにして
  私も若くして死んでいくのかなぁみたいなことを
  思っていたら
  還暦まで来てしまいました。
  今詩を読むその気分と
  若い時読んだそれとは
  おそらくうんと違うと思います。
  でも、
  詩が読める
  詩を読みたいと思えることを
  大切にしたいと
  思います。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  あなたは風だったかもしれない                   

 遠い昔、中原中也が好きだった。
 「中原中也の詩だろう」と問われれば、「いや、中原中也その人が」と答えたい。
 巷間に知られた恥じらったような美少年の写真といい、長谷川泰子という女性を小林秀雄ととりあったことといい、若くして亡くなったことといい、中也そのものが詩であるような気がする。
 まさに「汚れつちまつた悲しみに」だ。
 中也そのものがある意味詩人の典型のように思っていた。
 それからたくさんの水が橋の下を流れ、中也が亡くなった年齢もとっくに越してしまって、どうもそうではないのではないかと気づいた。
 詩人であれ、まっとうな社会人であり、家庭人たりうる。
 そんな詩人の一人は、吉野弘であることは間違いない。

 吉野弘といえば、「祝婚歌」といわれるほど有名な詩がある。あるいは教科書にも載った「夕焼け」という詩も広く知られている。
 この詩集にはそういう代表作も収録されているが、吉野弘の単独詩集であるから、目にしたこともない詩も多いだろう。
 例えば、私は「生命は/自分自身だけでは完結できないように/つくられているらしい」という節で始まる、「生命は」という詩が気にいった。
 その詩の最後はこうだ。「私も あるとき/誰かのための虻だったろう//あなたも あるとき/私のための風だったかもしれない」、そんな虻と風が出会って、「愚かでいるほうがいい/立派すぎないほうがいい」という「祝婚歌」の世界につながっていくのだろう。

 もうひとつ、この詩集の特長でいえば、言葉遊びの詩が数多く収録されていることだ。
 言葉遊びといえば谷川俊太郎が数々の詩を発表しているが、吉野弘も負けてはいない。
 気に入ったのは、「主婦」という詩。「婦」という言葉を分解して、「主(おも)に帚(ほうき)を使う女」と読めることに詩人はそうではないと異議を申し立てる。「主(あるじ)に帚(ほうき)を使う女」。
 詩人の目の鋭さと文字に対するセンスの良さを感じないだろうか。

 吉野弘に「「汚れつちまつた悲しみ」は隠されているが、もっともっと読まれるべき詩人だ。
  
(2015/06/24 投稿)

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