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プレゼント 書評こぼれ話

  最近出版された
  神戸連続児童殺傷事件の犯人「元少年A」の手記
  『絶歌』が話題となっています。
  そのことについて
  書いておきます。
  出版の自由は民主主義の根幹とよくいわれます。
  その通りです。
  だから、元少年Aの本が出版されたことについて
  とやかくいうことはできないでしょう。
  けれど、
  もし私が出版社であれば、出版はしません。
  もし私が本屋さんであれば、この本は置きません。
  もし私が図書館であれば、この本の貸出についてはよく検討します。
  読者である私は、『絶歌』は、読みません。
  一律にこれはいい、これはダメだということはできないでしょう。
  読むことも
  読まないことも
  決めるのは読者自身です。
  今日紹介する窪美澄さんの
  『さよなら、ニルヴァーナ』は
  少年Aの事件をモデルにしています。
  少年Aを描くことで
  窪美澄さんは真剣に表現するということを
  考えています。
  労作、力作以上の作品だと思います。

  じゃあ、読もう。


sai.wingpen  これが小説の重さというものか                   

 重い小説だった。読み手がそうである以上に、作者の窪美澄はよく書き終えたものだ。力作とか労作とかよく言われるが、この作品はそれを越えている。
 1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件を起こした少年Aをモデルとしているが、これはどこまでいっても小説だ。事実ではない。
 少年に共鳴し、更生中の少年のあとを追い続ける少女。少年に殺害された少女の母親。まるで何かに吸い寄せられるようにして3人が交わっていく。
 そこに小説家を目指す女性が加わることで、事件のことを描く重みが語られていく。

 興味本位で書かれたものではないことは、物語を読めばわかる。
 興味本位ではない重さがここにはある。一体これは私たちが生きる地球と同じ重力圏の物語なのか。
 この犯罪も犯人の少年Aも、作者は糾弾しているのではない。
 多分窪はこの作品を書くにあたって、さまざまな情報を調べ、入手しただろう。
 インターネットという、少年が犯罪を起こした頃にはまだ十分でなかった道具を駆使すれば、窪が描いたさまざまな細部の実際がわかるかもしれない。
 けれど、読者はそうすべきではない。
 何故なら、これは小説なのだから。

 窪のこの物語では少年は人間の「中身」が見たかったから犯罪に及んだと記されている。
 そして、窪はこう書く。
 「Aのいう「中身」とはなんだろう。それは私が小説を書きたい、ということと近くはないだろうか。人には見られたくない感情、欲望、妄想。(中略)そこを見ずに一生を過ごす人もいるだろう。でも、そこを見ずにはいられない、という人間が確かにこの世界にはいるのだ。私とAのように。」
 この文章の「私」は窪自身ではない。物語に登場する小説家志望の女性だ。
 しかし、それは窪でもある。
 これは窪による作家宣言のようなものではないか。

 窪はあるインタビューでこんなことを語っている。
 「たとえば家族や友人に対して、思ってはいても出せない気持ち。その煮詰まっている感情を私の本が肩代わりして、読者が前に進めると思ってくれたらうれしい」。
 いつの間にか、窪美澄は、うんと遠くにいっていた。
  
(2015/07/14 投稿)

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