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07/11/2009    かあちゃん:書評
プレゼント 書評こぼれ話

  以前書いた『ヨンイのビニールがさ』の書評に、
  「桃井さん」という未知の読者から、
  小学5年生の息子さんと一緒に、
  私の書いた書評を読ませて頂いた、というコメントを頂きました。
  これはうれしかったですね。
  お母さんと小学5年生の息子さんが、ほっぺたくっつけながら(多分です)、
  パソコンの前に座って、私の書評を読んで下さるなんて。
  あの本を読んでよかった。
  あの書評を書いてよかった。
  つくづく思います。
  「桃井さん」母子の、ほほえましい風景に、心がほっと安らぎました。
  ありがとうございました。

  今回紹介する本は、ちょっとそんな風景にも近い、
  重松清さんの『かあちゃん』。
  この本の中で、お母さんのことを、重松清さんはこんな風に書いています。

     どんな子どもも、ひとりぼっちでこの世に生まれてくることはありえない。
     世界中のすべてのひと。あらゆる時代の、あらゆるひと。例外などない。
     生まれてきた瞬間にいちばんそばにいてくれるひとは、
     どんな人間の場合も、母親なのだ。 
    (415頁)

  私は残念ながら? 父親です。
  父親としての言い分もあるのですが、やはり母親には負けてしまう。
  「母ちゃん」「おふくろ」「ママ」「お母さん」・・・
  その呼び方は色々あるでしょうが、その温かみは同じです。
  今回の書評タイトルは、さだまさしさんの『償い』の歌詞から引用しました。

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かあちゃんかあちゃん
(2009/05/29)
重松 清

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sai.wingpen  人間って哀しいね だってみんなやさしい           矢印 bk1書評ページへ

 さだまさしさんの『償い』という歌を知ったのは、ある裁判のなかでの裁判長の言葉からでした。その時裁判長は、交通事故を起こした加害者の長年の償いを歌詞にしたこの歌を例に、「せめて歌詞だけでも読めば、なぜ君たちの反省の弁が人の心を打たないか分かるだろう」と説諭しました。
 重松清さんがこの『かあちゃん』という連作小説を執筆するに際して、この裁判の話やさだまさしの歌のことを知っていたのかどうかはわかりませんが、やはりこの作品に書かれているのも「償い」という重いテーマです。
 二十六年前不幸な交通事故にまきこまれた父親とその上司。たまたま運転をしていたのが父親だったということで、その日を境にして「お母ちゃん」は笑顔まで捨てて、被害者への「償い」の日々をおくるようになります。
 ある日、成長し家庭をもつ息子のもとに、かつての被害者の上司の墓の前で「おふくろ」が倒れたという報がはいります。その時初めて息子は「お母ちゃん」の長い「償い」の日々を知ることになります。
 それは、「忘れない」という「償い」の方法でした。

 物語はそのことを核にして、中学生の「いじめ」の問題へと移っていきます。
 友人でありながら首謀者松谷の言いなりに「いじめる」側にまわる啓太と本多。それを黙ってみていた女子生徒千葉。「いじめ」の実態に気がつかない新米教師水原。やがて、いじめを受けていた黒川は自殺未遂を起こし、転校をしていく。
 それぞれが祖母の認知症や親の不和、新たないじめの問題などを抱えています。
 そんな生活をそれぞれの「かあちゃん」の姿を重ねあわせながら(それにしても「とうちゃん」たちのなんという不甲斐なさでしょう)、彼らが「償い」とは何かという問題に直面していく姿を、重松清さんは巧みに描いていきます。

 「いじめ」の問題はこの物語に描かれたようにきれいに解決するものではないでしょう。
 それでも、重松清さんはそのことを書かざるをえなかったのではないでしょうか。それは一人の作家としての、子を持つ親としての、責務のような覚悟なのかもしれません。
 終盤近くに、「謝ることと償うことって、違うよね。『謝る』は相手にゆるしてもらえないと意味がないけど、『償う』は、たとえ相手にゆるしてもらえなくても・・・っていうか、ゆるしてもらえないことだから、ずっと償っていかなきゃいけないと思うの」(347頁)という台詞があります。
 私たち自身が自分の言葉で考えるべき問題です。

 母と子が、そして父もまた、この本のことを語りあえる世界を想像することも、きれいごとすぎるでしょうか。
  
(2009/07/11 投稿)

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