プレゼント 書評こぼれ話

  今年、2015年は
  1985年8月12日に起こった日航機墜落事故から
  30年めにあたる。
  今日紹介する西村匡史さんの
  『悲しみを抱きしめて』は
  副題に「御巣鷹・日航機墜落事故の30年」とあるように
  この事故のその後を取材した記憶である。
  この事故の犠牲者は520名。
  未曾有の事故であった。
  しかし、その中奇跡的に助かった人がいた。
  その中の一人川上慶子さんのお兄さん川上千春さんが
  今月発売された「文藝春秋」9月号に
  「妹・川上慶子と私の三十年」という手記を
  掲載している。
  川上千春さんは奇跡的に助かった慶子さんのお兄さんであるとともに
  父親、母親、もう一人の妹を喪った
  遺族でもある。
  世間の目がそそがれる中、
  戸惑いながらの30年であったことが
  この手記では綴られている。
  遺族だからしっかり生きないといけないのではない。
  遺族ゆえの苦痛もある。
  そのことを川上千春さんの手記は語っている。
  だれもが生きることを願ったであろう、あの日から30年。
  これからも
  私たちは亡くなった人たちのことを
  遺された人たちの悲しみを
  忘れてはいけない。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  あれから30年                   

 1985年8月12日に起こった日航機墜落事故の時、大阪に住んでいた。事故からしばらくして、お店をしている夫婦がいて、日航機の事故で被害に遭われた家族みたいなことも聞いた記憶がある。あの夫婦はどなたが犠牲になったのだろう。今はどうされているのだろう。
 30年が過ぎた。

 「まわりながら急速に降下中だ/本当に今迄は幸せな人生だったと感謝している」。
 今年(2015年)、あの事故から30年ということで多くの新聞やTVで特集が組まれていた。被害者の一人河口博次さんの、この機中で書いた遺書も多く取り上げられていた。その都度、涙が止まらなかった。
 どんなに悔しかったことだろう。どんなに怖かったことだろう。けれど、河口さんは感謝の言葉で終えた。残された家族の悲しみは計り知れないが、素晴らしい父親であったことに感謝もあっただろう。
 事故当時まだ8歳だった著者が、TVの報道という仕事に携わって、その後遺族の方々と交流を結んで一冊の本にした。事故のことなど記憶にないはずだ。けれど、こうして遺族の方々の心に寄り添い、あの時のことを書き遺そうとする心映えがいい。
 これからもあの事故のことを知らない人たちが増えていく。事故のことが風化していく。
 それでも、著者の西村匡史氏のように、事故のことを書きとめようとする若い人が現れる。私たち読者もそのことをしっかりと受け止めないといけない。

 西村氏が日航機墜落事故と寄り添うきっかけになったのは、本書の第1章で紹介されている田淵夫婦との出会いだった。
 田淵夫婦はこの事故で3人のお嬢様を亡くされている。取材を拒否する田淵夫婦に西村氏は何年も寄り添っていく。取材という報道関係者が持つ意気込みはあっただろう。
 しかし、西村氏は田淵夫婦のその後を取材していく中で、単に伝えることだけではない思いを知ることになる。
 田淵夫妻だけではない。
 墜落現場となった上野村の人々、加害者である日航社員の人たち、遺族会のメンバー、そして遺族となった多くの方々、西村氏は報道という立場ではなく、一人の人間としてこの大惨事に付き合ってきたのだ。
 これからも、この事故がもたらした悲しみを風化させてはいけない。
  
(2015/08/22 投稿)

  芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
Secret

TrackBackURL
→http://hontasu.blog49.fc2.com/tb.php/2560-7d25410d