プレゼント 書評こぼれ話

  大人って何だろう。
  もう十分大人なのに
  よくわからないのもなさけない。
  例えば
  今日の山田太一さんの『月日の残像』なんか読むと
  ものすごく大人の文章だと
  思います。
  跳ねていないというか
  抑制されているというか
  山田太一さんのような文章を
  書きたいものです。
  たくさんということは
  もうあまり必要ではないのかもしれません。
  じっくり、がいい。
  熟成しているものが
  きっと大人にはあるでしょうから
  それを噛み締めるようなことが
  できたらいいような
  気がします。
  うーむ。
  大人の秋ですなぁ。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  大人の文章                   

 2013年に小林秀雄賞を受賞した脚本家山田太一氏のエッセイ集である。
 そのタイトル通り、山田氏が師事した映画監督木下恵介のこと、大学で同級だった寺山修司のこと、同業で早逝した市川森一のこと、父母のこと、青春の日々のこと、読んできた本のことなど、ここに収められたエッセイは「残像」のような断片である。
 けれど、それらは山田氏を創り上げてきた諸々なんだと思う。
 そういう月日を経て、山田氏は自身の脚本や小説を書きあげてきたのではないだろうか。

 山田氏がこれまでに描いてきた脚本は高い評価を得てきた。脚本家の名前でドラマが見られるとしたら、今は山田氏か倉本聰氏くらいではないか。
 そんな山田氏ですら、「私たちに残されているのは、時勢に合せての語り直しか、工夫をこらした引用ぐらいでしかないのではないか」(「本の話」)と書いている。
 世界のほとんどのことはすでに描かれているというようなことは、確か亡くなった開高健も書いていた。
 それでも開高もそうだが、山田氏も観客をのめりこませるドラマを書いてきた。
 それはどうしてだろう。その答えのヒントがこれらの「残像」にあるような気がする。

 「抜き書きのノートから」と題されたエッセイが2篇収められている。
 山田氏は二十代から三十代にかけて、読んだ本の抜き書きを日記代わりにノートにつけていたという。日記ではないのでどんな生活を送っていたかはわからないが、その頃どんなことに関心を持っていたかがわかると書いている。
 そういうことで養われた視点が山田氏の作品に生きているのではないだろうか。
 語り直しだと認識しつつそれでも現代に通用する作品を書くことと、過去のことを知らずにまったく自身のオリジナリティと信じて書くことは大いに違う。
 山田氏の作品の穏やかな語り口は、抑制された大人の味わいだ。それらが山田氏の生きてきた日々の積み重ねなのだろうと思う。
  
(2015/09/19 投稿)

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