プレゼント 書評こぼれ話

  今日は立春
  暦の上では春。

    立春のまだ垂れつけぬ白だんご    中山 純子

  今シーズンは暖冬といわれて
  確かにその通りなのですが
  寒波が来て震えあがってみれば
  やはり春が待たれて
  立春を過ぎてもまだまだ
  寒いでしょうが
  春は、もうそこまで。
  陽も少しは長くなってきたように
  感じます。
  今日は池澤夏樹さんの
  『砂浜に座り込んだ船』。
  本を選ぶ際に
  表紙のようすとタイトルは
  とても重要。
  この本もぐっと来ました。
  生きるということは
  春の感じですが
  そこにまだ寒さ、
  つまりは死のイメージをはらんでいて
  立春にそんなことを思いながら
  読むのもいいかもしれません。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  休むこともまた良し                   

 死はどこにあるのだろう。
 人間なら誰にしも訪れる、死。古今東西の文学は多くの死を描いてきた。
 何故か。死と対峙する生を知るために。
 池澤夏樹のこの短編集もそんな作品集だ。

 この短編集には8つの作品が収められている。
 表題作である「砂浜に坐り込んだ船」は海岸の砂浜に座礁した大型貨物船を見に行った主人公が今は死者となったかつての親友と語り合うという作品だ。
 この作品でははっきりと死者が登場する。
 しかし、そのことよりも砂浜に打ち上げられた貨物船の方に強く死を感じてしまう。だからこそ、主人公は死者を呼び寄せたともいえる。
 「心ゆくまでそこに坐って休むといい」、砂浜の船への思いは亡くなった友への思いにつながる。
 死は休むということかもしれない。
 生きることをしばし休む。死はそういう時間ともいえる。

 「苦麻の村」という短編にもっとも魅かれた。
 福島原発事故で故郷の大熊町から東京の地に避難を強いられた菊多さんという老人。避難所である住宅を訪ねてきた福祉課の人に「地元の新聞が読めないか」と頼む。しかし、菊多老人は福祉課の人がせっかく手配してくれた図書館で、その新聞の記事を切り取るという行為に出てしまう。そして、何かにせかされるように、誰も住まない故郷の町へと戻っていく。
いうまでもなく、東日本大震災の大きな悲しみを題材とした作品だ。
 ここには菊多老人の奇行を通して、あの時亡くなった多くの命だけでなく、故郷を追われた原発被害者の数かぎりない悲しみが描かれている。
 そもそも菊多老人のそれは奇行なのか。菊多老人こそ、「砂浜に坐り込んだ船」ではないか。

 東日本大震災を描いた作品として、「大聖堂」がある。
 三人の少年が海に浮かぶ無人島にピザを焼きに行く話なのだが、彼らが一旦あきらめた三月のあの日に大きな津波が町を襲う。それから半年、少年たちは再度ピザ焼きに挑戦しようと舟を漕ぎだす。
 少年たちにとってその行為は何であったのか。
 あの日隔絶された日常。
 ここにもまた「砂浜に坐り込んだ船」がいるように感じる。「心ゆくまでそこに坐って休むといい」、と。
  
(2016/02/04 投稿)

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