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07/31/2009    一本の茎の上に:書評
プレゼント 書評こぼれ話

  今回紹介した本は、詩人の茨木のり子さんの
  『一本の茎の上に』というエッセイ集です。
  書評にも書きましたが、
  茨木のり子さんは「倚りかからず」という詩で有名になりましたから、
  ご存知の方も多いと思います。
  私たちが日頃目にするのが「散文」ですが、
  ときには詩を読むのも面白いですよね。
  茨木のり子さんは、この『一本の茎の上に』に所載の
  「散文」という文章の中で、
  詩には「もはや付け加えるものも削るものも何ひとつない」瞬間が
  あると書いています。
  そんな詩人が書いた散文はどうかというと、
  やはり日本語がきれいだと感じます。
  どこからそういうきれいさがでるのか、
  この本を読んでいる間じゅう、ずっと考えていたのですが、
  句読点の打ち方、がいいことに気がつきました。
  普通に息をつぐようにして、
  打たれた句読点の魅力に、ぜひ
  ふれてみてください。

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一本の茎の上に (ちくま文庫 い 32-3)一本の茎の上に (ちくま文庫 い 32-3)
(2009/07/08)
茨木 のり子

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sai.wingpen  まっすぐのびた骨               矢印 bk1書評ページへ

 詩人茨木のり子のことを初めて知ったのは、それがどういう文脈であったか、すっかり記憶の霧にかすれてしまっているのだが、新聞のコラム欄であったように、記憶している。茨木の詩集『倚りかからず』がたいへん売れていた頃だと思うので、1999年あたりの頃である。あるいは、そのコラムに取り上げられて、評判が増したのではなかったかと思う。
 その詩集はその時にも読んで、文庫本になってからも立ち返るようにして読むことがある。そのつど、詩集と同じタイトルの一篇の詩に、茨木のり子という詩人の、気骨のものを感じさせられる。
特に「じぶんの耳目/じぶんの二本足のみで立っていて/なに不都合のことやある」というくだりには、ほとほと勇気づけられる。
 その詩集の五年前(1994年)、それまで「雑々と散らばっていた」散文を一冊にまとめたエッセイ集が本書である。
 「人間の顔は、一本の茎の上に咲き出た一瞬の花である」という詩的な書き出しで始まる表題作は、民族の顔についての感想が日本人の思想の貧困性までを批評して、表題がもつ詩感をみごとにうらぎっている。読者はまんまとしてやられてしまうのである。
 それは本書に収められている、茨木が敬愛してやまなかった山之口獏や山本安英、あるいは木下順二らを綴ったエッセイでも同じである。
 山之口獏を描いた「平熱の詩」というエッセイのなかで、茨木は「他から強制されたり操られたり時代の波に浮かれたりの昂揚感は化けの皮が剥がれた時、なんともいえず惨めである。その惨めなものを沢山見てきてしまったような気がする。自分自身のこととしても。」(64頁)と書いている。
 時代や人が高熱を発している時、ひょいとかわすことはなかなかむずかしい。茨木は、少なくともそういうことができる人であったし、そうすべきことを心がけていたように思える。
 あの詩「倚りかからず」でも、そうであるように。
 それが、茨木のり子の、まっすぐのびた茎であろう。

 茨木のり子は五十歳を過ぎて、韓国語を学び始める。そのあたりの様子を綴った「晩学の泥棒」では、新しい言葉を知る茨木はまるで少女のように輝いている。
 その年齢で、と多くの人が尻込みをしそうなことも軽々と越えてしまう。
 そういうところにも、茨木のり子のまっすぐな茎があるようで面白い。
  
(2009/07/31 投稿)

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