プレゼント 書評こぼれ話

  今年は司馬遼太郎没後20年にあたる。
  NHKEテレの「100分 de 名著」は
  その企画として
  司馬遼太郎の4つの作品を取り上げていて
  今夜の第4回目で最後となる。
  そこで取り上げられるのが
  『この国のかたち』。
  今までの3回を視聴して
  惜しむらくはやはり一つの作品を
  一カ月じっくり取り上げた方が
  よかったのではないかということだ。
  どうしても25分で一作品では
  内容が希薄になっている。
  『この国のかたち』にしても
  果たして25分でどう説明されるのだろう。
  それはともかく
  今回久しぶりに『この国のかたち一』を読み返した。
  このシリーズは
  文春文庫版で六冊出ている。
  これから毎月一冊ずつ
  再読をしていくつもりです。
  今回はその一回め、『この国のかたち一』。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  私たちは司馬遼太郎の火を消していないか                   

 この本は何度読んでも難しい。
 総合誌「文藝春秋」の「巻頭随筆」として1986年3月号から連載を始めたものがこのシリーズで、この一には2年分のそれが収められている。
 司馬遼太郎は23歳の時、終戦を迎える。その時、「なんとおろかな国にうまれたことか」と忸怩たる思いだった。
 「むかしは、そうでなかったのではないか」という思いがその後の作品を描いていく基本のトーンであり、「二十三歳の自分への手紙を書き送るようにして書いた」。
 手紙を書き続けることで感じたさまざまを「形象としてとりだし、説明的文体」で書かれたのが、この作品である。
 もしかすれば、もっとわかりやすい表現形式はあったかもしれないが、司馬が作品として描けなかった「昭和」を語るとすれば、これしかなかったのかもしれない。

 この巻の中で「-あんな時代は日本ではない。と、理不尽なことを、灰皿でも叩きつけるようにして叫びたい衝動」があると記した司馬。
 「昭和」という時代(戦前のそれ)を「鬼胎」の時代と呼んだ司馬は、長い連載の中で戦国時代や江戸時代、あるいは幕末、明治という彼がこれまでに見てきた歴史をたどっていくことで、まさにこの国のありようをみていく論考になっている。

 一方で、この1980年代後半の「この国」が置かれていた状況をみて、その将来を憂いている(「14 江戸期の多様さ」)のも、司馬という一人の作家を考えた場合、重要な視点となる。
 晩年の司馬はしばしば「この国」の審判官のようであったことを思い出す。
 この国の未来を司馬が一人で背負っているような悲壮感さえあった。
 司馬もまたそれに実直に答えようとした。
 この作品もそんな司馬の成果物としてある。

 我々日本人を司馬はこう表現している。(「15 若衆と械闘」)
 「日本人はつねに緊張している。ときに暗鬱でさえある。理由は、いつもさまざまの公意識を背負っているため、と断定していい」。
 東日本大震災のあとの被災者たちの姿そのものといえる。もちろん、司馬はその時にはもういなかったのだが。
 司馬遼太郎が亡くなって20年。果たして私たちは司馬の期待どおりの「この国」を持ちえただろうか。
  
(2016/03/23 投稿)

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