08/03/2009 学問:書評

今日はまず、書評のおける「ネタバレ」について書きます。
少し前に書評家豊崎由美さんの、
「ガター&スタンプ屋ですが、なにか? わたしの書評術」という、
雑誌「本が好き!」(光文社)の連載記事のことを書きましたが、
そのなかで、豊崎由美さんは「ネタバレ」書評のことも書いていて、
彼女はこう定義づけしています。
知って驚いたり、悲しんだりする読者の初読の快感の権利を奪う書評
どうです?
これから、書評を書いてみようと思っている人には
参考になるのではないでしょうか。
今回紹介した、山田詠美さんの『学問』を読み終わって、
書評にも書きましたが、すごい仕掛けをみつけた時に、
それをどう書こうかと考えました。
結局今回のような形になりましたが、
これで、もし、みなさんが「読んでみたい」と思われたら、
書評として、よく書けたといえるかもしれません。
それはともかくとして、
本当にいい小説ですよ、これ。
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男というのは時になんとも要領が悪いもので、山田詠美の『学問』という小説が「女性のためのオナニー小説」(豊崎由美・「波」7月号所載)であるとか「女子の性欲あるいは自慰というテーマ」(斉藤美奈子・朝日新聞2009.7.28)とか書かれてしまうと、興味は募るものの、いざそれらを言葉として表現しようとすれば、ふんと知らんぷりでもしているしかない。
よくぞここまで書いてくれたという女性読者の満足とそれを言葉に出来ない男性読者の不機嫌があわさったような評価にでもなるのであろうか。
東京から三時間ほどのところに位置する静岡の美流間(みるま)という市を舞台にして、1962年生まれの男女四人の、七歳から十七歳までを、物語は描いていく。
四人のなかでも物語の核となる仁美は、わずか七歳で、「得体の知れないものの愛弟子になるであろうことを予見」する。その時、彼女が予見した「得体の知れないもの」とは「性欲」であるし、同じ社宅に住む千穂のそれは「眠ること」であり、片時もお菓子を手離さない無量のそれは「食欲」である。では、人を魅きつけてやまない、四人の中のリーダー格である心太はというと、「支配欲」という、これまた人間の避けがたい根幹のような欲望であったかと思われる。
もっとも、仁美が自分の欲望を「得たいの知れないもの」と感じたように、彼らともがそれぞれの欲望を自覚しているわけではない。あるいは、美流間という土地も1962年という時代背景も、そういう欲望に対する無自覚さという点において、作者山田詠美によって巧妙に仕掛けられた舞台設定であるともいえる。
彼らは成長していく過程でそのような己の欲望とやがて対峙していく。
それは、高度成長の果てにこの国が「公害」という悪と出遭ったことに相似する。あるいは、そもそもが題名となった「学問」のありようもそうであるといっていい。「得体の知れないもの」の正体を知ることこそ、学ぶということだし、それらを越えたところに新しい世界が広がる。
人生とは学ぶことの連続である。学び、気づき、また学び。それは生の終わりまで続く。
山田詠美のこの作品は、単に性にとどまらず、生の持つそのような深遠な世界を描いたものとして、秀逸であるといえる。
さて、この物語を読了された読者はもう一度、「蓋棺録」という登場人物の死亡記事を描いた一節の、冒頭におかれた仁美のそれに立ち返ってみるといい。
山田詠美の、とてつもない仕掛けに、そしてこの作品の大きさに、きっと驚かされるにちがいない。
(2009/08/03 投稿)
四人のなかでも物語の核となる仁美は、わずか七歳で、「得体の知れないものの愛弟子になるであろうことを予見」する。その時、彼女が予見した「得体の知れないもの」とは「性欲」であるし、同じ社宅に住む千穂のそれは「眠ること」であり、片時もお菓子を手離さない無量のそれは「食欲」である。では、人を魅きつけてやまない、四人の中のリーダー格である心太はというと、「支配欲」という、これまた人間の避けがたい根幹のような欲望であったかと思われる。
もっとも、仁美が自分の欲望を「得たいの知れないもの」と感じたように、彼らともがそれぞれの欲望を自覚しているわけではない。あるいは、美流間という土地も1962年という時代背景も、そういう欲望に対する無自覚さという点において、作者山田詠美によって巧妙に仕掛けられた舞台設定であるともいえる。
彼らは成長していく過程でそのような己の欲望とやがて対峙していく。
それは、高度成長の果てにこの国が「公害」という悪と出遭ったことに相似する。あるいは、そもそもが題名となった「学問」のありようもそうであるといっていい。「得体の知れないもの」の正体を知ることこそ、学ぶということだし、それらを越えたところに新しい世界が広がる。
人生とは学ぶことの連続である。学び、気づき、また学び。それは生の終わりまで続く。
山田詠美のこの作品は、単に性にとどまらず、生の持つそのような深遠な世界を描いたものとして、秀逸であるといえる。
さて、この物語を読了された読者はもう一度、「蓋棺録」という登場人物の死亡記事を描いた一節の、冒頭におかれた仁美のそれに立ち返ってみるといい。
山田詠美の、とてつもない仕掛けに、そしてこの作品の大きさに、きっと驚かされるにちがいない。
(2009/08/03 投稿)
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