昭和47年(1972年)5月15日
 それまでアメリカの統治下にあった沖縄が
 日本に返還された。
 終戦から実に27年後のことだ。
 それから44年後の5月15日、
 私は初めて沖縄に行った。
 日本復帰の日に
 沖縄を訪れたのはまったくの偶然。
 ただ沖縄には
 一度は行きたかった。
 観光地としての沖縄。
 終戦間近に戦場となった沖縄。
 基地問題に揺れる沖縄。
 沖縄は
 私の中でさまざまな表情をもつところ。
 今日から三日間
 そんな沖縄紀行を書こうと思う。

 司馬遼太郎さんは『街道をゆく』6巻めの
 「沖縄・先島への道」の中の一節にこう書いている。

    沖縄について物を考えるとき、
    つねにこのことに至ると、
    自分が生きていることが罪であるような物憂さが襲ってきて、
    頭のなかが白っぽくなってしまい、つねにそうだが、
    今もどうにもならない。

 司馬遼太郎さんが「このこと」と記したのは
 沖縄での最終戦で「住民のほとんどが家をうしない、約十五万の県民が死んだ」という
 事実のこと。
 司馬さんがこの時の旅に出たのは1974年。
 本土復帰の2年後のことです。
 この旅で司馬さんも首里城を訪れている。
 しかし、私たちが今目にする復元された首里城
 司馬さんは目にしていない。

    私は戦前の首里の旧王府の美しさを知ることなく、
    沖縄に何度かきた。

 と、記している。
 私は首里城を見たかった。
 けれど、今の首里城がたどった歴史を
 ほとんど知らなかった。
 首里城は沖縄戦で日本軍の複郭陣地であったために
 ほとんど破壊されてしまう。
 戦後この地は琉球大学として機能するが
 1992年以降今の姿に復元されたという。
 このことを現地で案内していた女性から聞いた。
 今は多くの観光客を集める人気スポットである。
 司馬さんが復元された首里城を見たかどうかは
 知らない。

 私が訪れた5月15日も
 多くの観光客が首里城を訪れていた。

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 この時期、例年であれば
 梅雨にはいっている沖縄だが
 今年は遅れていた。
 この日も沖縄は晴れて暑い夏空が広がっていた。
 もっとも次の日には梅雨入りすることになるのだが。
 2000年、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が世界遺産に登録されるが
 首里城は正しくは「首里城跡」として登録されている。
 復元された建物ははいっていない。

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 ちなみに「グスク」というのは城のことである。

 今回の旅で
 もう一カ所世界遺産に登録された
 今帰仁城跡(なきじんじょうあと)も見学したが
 風景的にはこちらの方が好きだ。

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 もちろん好みの問題だが。

 首里城を歩いて思うことは
 沖縄はやはり日本とは趣きが大いに違うということだ。
 この国を一個の国として
 大事にされなければならなかったのではないか。
 そんな気分のまま
 沖縄県北部の恩納村に向かった。
 アメリカの基地横を通って。

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