プレゼント 書評こぼれ話

  今日も読みそびれた一冊です。
  坂口安吾の『堕落論』。
  読むきっかけは
  NHKEテレの「100分 de 名著」。
  多分、この番組がなかったら
  一生読まなかったかもしれませんね。
  きっかけというのは
  恐ろしい。
  書評にも書きましたが
  私はこの作品がこんなに短いエッセイというのを
  知りませんでした。
  こんなに短いのだったら
  若い時に読んでおけばよかった。
  いつだって
  読めますもの。
  そして、若い時に読んだら
  きっと今よりずっと深く感じ入ったのでは
  ないでしょうか。
  そんな作品です。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  堕落には覚悟が必要                   

 どんなに有名で名著と呼ばれる本であっても、読者の一番いいタイミングで出会えるとは限らない。
 あるいは同時代的な作家の作品であっても、遅れて生まれてきた読者にとってはすでに評価の定まった作品でもある。
 坂口安吾のこの作品でいえば、表題作である『堕落論』は終戦後間もない昭和21年4月に発表された自我的評論である。1970年代に安吾は劇的な復活を果たして、当時の若者たちに熱狂的に支持されたという記憶がある。
 ただ残念なことに当時私は同じ無頼派の作家でも太宰に傾倒していたので安吾を全く寄せ付けなかった。
 読まず嫌いということほど恐ろしいことはない。

 まず大きな誤解であったことは一冊の文庫に『堕落論』というタイトルが付けられていても、表題作そのものはわずか数ページのエッセイであること。
 例えば、私が読んだ集英社文庫でいえば『続堕落論』『日本文化私観』(この評論がすこぶるいい。なんといっても文章が生きている)『不良少年とキリスト』(太宰の情死後に書かれた評論と小さな太宰治論になっている)『桜の森の満開の下』(1975年に篠田正浩監督によって映画化されている)など9篇の作品によって構成されている。
 現在『堕落論』はさまざまな文庫に収録されているが、他の作品の構成は各文庫ともにばらばらなので、気をつける必要がある。 少なくとも『続堕落論』『日本文化私観』が併録されているものがいい。

 安吾の言葉をそのまま読む必要はないし、逆説的解釈も必要であるが、どの作品もその奥のある純粋な湧き水のような清冽な透明さに気がつくことだろう。
 もっと早くに読んでおくべきだった。
  
(2016/07/29 投稿)

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