08/14/2009 「芥川賞選評」を読む

本屋さんの店頭に並びました。
今回の受賞作、磯崎憲一郎さんの『終の住処』は、
「文藝春秋」より先に新潮社から刊行されていて、
私もすでに読みおわりました。

私の書評でもおわかりように、
どうも自分ではもうひとつ納得できる作品ではなかったのですが、
芥川賞の選者のみなさんは、この作品をどう捉えているのか、
今日は「文藝春秋」に掲載された「芥川賞選評」を読んでみたいと思います。
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村上龍さん。
(村上龍さんが『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を受賞した時の
騒動はすごかったですね)
村上龍さんは、今回の受賞作を「感情移入できなかった」と評しています。
なるほど、なるほど。
「わたしはいくつかの死語となった言葉を連想しただけだった。ペダンチック、ハイブロウ」と、
続きます。
この「ペダンチック」という死語を使われている選者が、もう一人いました。
初期の作品の完成度では抜群の、宮本輝さん。
ちなみに芥川賞の選考委員としては、どうも私と波長が合わないきらいがあるのですが、
宮本輝さんは、「鼻持ちならないペダンチストここにあり、といった反発すら感じたが」と
書いています。
ただし、このあとに、磯崎憲一郎氏のこれからの可能性にも言及されていて、
これはこれで、今回は宮本輝さんと意見が一致しました。
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「学問や知識をひけらかすさま」のことでしょうが、
磯崎憲一郎さんの『終の住処』のあやうさは、他者を寄せつけないところに起因して
いるように感じました。
そのあたりのことを、私が信頼しているもう一人の選考委員である、
池澤夏樹さんの選評を引用します。
「主人公は自らは何もしないかのように見える。普通、小説の主人公は世界に向かって
働きかけるものだが、『終の住処』では世界の方が彼の前でパフォーマンスを繰り広げる」
世界と自分との距離間。
このあたりの読了後の感じ方の違いが作品の評価の違いになっているようですね。

私がもっとも感心したのが、小川洋子さんのそれで、
これはもう書評としてもすばらしい出来栄えだと思います。
「人間を描くという不確かな視点を拒否し、ただ時間に映し出される事象のみを書き写す
試みが、独特のいびつさを生んでいる」とあります。
試みに、小川洋子さんが「選評」のなかで『終の住処』を評した文字数を数えてみると、
約300文字。
わずか300文字で、あの世界を論じてしまうのですから、
これは見事というしかありません。
ところで、大御所石原慎太郎さんの「選評」ですが、
「題名がいかにも安易だ」としています。
石原慎太郎さんは昔から題名の良し悪しにこだわる選者ですね。
私のお気に入り選者のひとり、山田詠美さんの「選評」ですが、
「大人の企みの交錯する」作品として、『終の住処』を推しています。
これにはやや異論があって、あの作品はむしろ若い人の「企み」を残した
「大人の作品」のように感じましたが、
いかがでしょう?

いづれの選者も「時間」という概念に焦点をあてているのが特徴です。
もう一度、池澤夏樹さんの言葉を引用すると、
「これを高度経済成長の比喩と読むのは見当違いかもしれないが」とあります。
そんなに見当違いではないと思いますよ。
磯崎憲一郎さんの『終の住処』のそういう時間軸の描き方を読み解くのも面白いです。

もちろん作品の評価は読者であるあなた次第です。
さあ、どう読みますか。
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