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08/15/2009    彼の名はヤン:書評
プレゼント 書評こぼれ話

  今日は、64回めの「終戦記念日」です。
  私はプロフィールにあるように、
  昭和30年(1955年)生まれですから、
  戦後生まれです。
  ちょうど「戦後は終わった」と経済白書に書かれた年でもあります。
  ジローズの「戦争を知らない子供たち」という歌が流行ったのが、
  1971年ですから、ちょうど高校生の頃です。

    戦争が終わって 僕等は生れた
    戦争を知らずに 僕等は育った
    おとなになって 歩き始める
    平和の歌を くちずさみながら


  北山修さんの作詞した、この歌をどれだけ歌ったでしょう。
  「戦争を知らない子供たち」もすっかり大人になって、
  本当は「知らない」ではなく、「知ろうとしなかった」世代なのかなぁ、と
  思わないでもありませんが、
  やはりこの国がかつて戦争の当事者だったことは忘れてはいけないと思います。
  それは、私たちの世代だけでなく、
  もっと若い世代の人もそうですし、子どものみなさんだってそうです。
  本の世界では、そういう子ども向けの本にも
  戦争がもたらす悲しみや痛みを描いた作品はたくさんあります。
  今日紹介した『彼の名はヤン』というのも、
  児童書です。
  子どもの本であっても、深く考えることはできます。
  もしかしたら、児童書だからこそ、
  やわらかな眼差しで問題提起しているかもしれません。
  今回は2006年の蔵出しです。

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彼の名はヤン彼の名はヤン
(1999/03)
イリーナ コルシュノフ

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sai.wingpen  戦争が終わったら、ダンスに行こう             矢印 bk1書評ページへ

 夏が来る。そして、またいつもの「終戦記念日」がやってくる。戦後五十年以上経つというのに、やはり重苦しい儀式は続く。
 犠牲になった命は尊い。戦争はしてはいけない。平和が一番だ。それらはすべて正しい。それを否定する勇気はない。しかし、多くの人は世界のどこかで起こっている戦争をとめられはしないし、いとも容易に人の命をまるでちっぽけな虫のように殺めてしまう。
 一体夏が来るたび、私たちは何を祈っているというのか。
 本作は1979年に発表されたドイツの児童書である。
 主人公は戦争の加害者であったドイツの17歳の少女。彼女は当時戦争の被害者であったポーランド人の一人の青年ヤンと出会い、恋に落ちる。そのことで少女は自分たちの国がしていることに疑問を持ち始める。
 しかし、二人の幸福な時間はあまりに短い。やがて二人は捕らえられ、少女はヤンとの短い思い出をたどることで、戦争の意味を深く考えていく。

 虐げる側と虐げられる側。戦争はそんな単純な構図を生み出す。
 虐げる側の多くの人にとって虐げているといった不遜な思いはない。虐げているという事実さえ理解できない。この物語の少女がそうであったように。彼女の両親がそうであったように。あるいは当時のこの国の多くの国民がそうであったように。
 そして、その一方で虐げられた側の憎しみも全体そのものへの憎悪となっていく。それぞれがそれぞれの立場でしか物事を理解しようとしない。
 戦争という行為が本当に恐ろしいのは、人間から想像するということを奪い去ることだ。人の悲しみを想うということをなくしてしまうことだ。

 本当にヤンという青年は存在したのだろうか。作者にとってヤンという青年などいなかったのではないか。もしいたとすれば、主人公の少女の心の中だけに存在する「彼」であったのかもしれない。
 ヤンという青年は「想像力」という強い力だ。
 少女はヤンと手をつなぎ踊る姿を夢見る。虐げられている側の悲しみを想う。そのことで少女は大人への階段をひとつのぼることになる。

 夏が来る。
 殺められた命だけを想うのでなく、殺めた命のことを想像することができれば、少しは違う夏の光景が見えてこないかしら。
 この本のカバー画に描かれたヤンは背中しか見せない。
 彼の顔を、表情を想像できるは読者である私たちだけかもしれない。
  
(2006/07/12 投稿)
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