08/19/2009 ロマンポルノと実録やくざ映画:書評

今回も、昨日に引き続き、映画の本です。
昨日が洋画、今日は邦画です。
樋口尚文さんの『ロマンポルノと実録やくざ映画』。
70年代に映画青年であった私としては、
「日活ロマンポルノ」の関係本がもっと出版されていいと
思っているのですが、
あ、イヤラしい意味ではないですよ、
「ロマンポルノ」の秀作群の評価ということです。
だから、この本が出版されるのを楽しみにしていましたが、
それに特化しているものではないので、少し残念。
それはいいとして、
やはりあの名作『八月の濡れた砂』(1971年)がとりあげられているのが
うれしいですね。
私たちの世代で、映画好きな人はみんな観たんじゃないかな。
私も何度も観ました。
さすがに今観ると、ぼやーとしている感じもないわけではないですが、
ラストの、海に浮かぶ白いヨットをゆらゆらと俯瞰する場面と、
それに重なって流れる、石川セリの主題歌には、
今でもぐっと来ますね。
書評タイトルにもしました「山科ゆり」さんは、
「ロマンポルノ」はたくさんの女優さんたちが登場しましたが、
そのなかのひとり。
樋口尚文さんも取り上げているように、
なかなか素敵な女優さんでした。
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![]() | ロマンポルノと実録やくざ映画―禁じられた70年代日本映画 (平凡社新書) (2009/07) 樋口 尚文 商品詳細を見る |


昭和33年(1958年)にピークとなった映画観客数は、翌年の皇太子ご成婚などによるテレビの急速な普及や娯楽の多様化により、その後凋落の一途をたどることになる。洋画の興行収入が邦画のそれを上回るのは昭和50年(1975年)だが、そこに至るまでにすでに邦画各社は満身創痍の状況であった。
そんななかにあって製作されたプログラム・ピクチャー110本をとりあげ、70年代の映画作品が表現しようとしたものの検証を試みたのが、本書である。
書名にはあえて当時の映画界を代表するジャンルであった、老舗日活が生き残りをかけた苦肉の路線「ロマンポルノ」とやや飽きのきた「任侠路線」から変更をよぎなくされた東映の「実録やくざ映画」が使われているが、実際に本書でとりあげられているのは、東宝(本書では山口百恵の映画も紹介されている)、松竹、大映、あるいは独立系も含めたところの、もっと幅広い映画群である。だから、副題にあるとおり、これは「70年代日本映画」の総括といっていい。
先にあげた二つの路線に代表されるもの、それがセックスとバイオレンスということになる。
それはテレビでは視聴できないジャンルという映画会社側の思惑があったことと推測できるが(そう考えた場合、松竹の『男はつらいよ』シリーズは稀有のような存在であった)、作り手である監督をはじめとした表現者たちはまったく別の意図として、それらを表現しようと試みたのが当時の作品群だったように思える。
作り手側には、60年後半に始める「アメリカン・ニュー・シネマ」の表現方法が念頭にあったにちがいない。それは、観客側の心のありようとしても、そうであった。何かから打破しようというもがきが、観る側にも作る側にもあった。70年代はそういう時代ではなかっただろうか。
筆者である樋口尚文氏は、秀作だけでなくほとんど評価の対象にもならない駄作をもとりあげることで、当時の作り手が奮闘した「裾野の拡がり」に言及し、そこから逆射するように「現代の明るく清潔で画一的なシネコンプレックス=シネコン文化」の奮起を誘導しようとしている。
そして、それは、苛立つよりもまず諦めてしまう現在の社会そのものに対する、警鐘と読み取れないわけではない。
できれば、もう少し図録の掲載をして欲しかったし、索引も載せてもらいたかったが、あの頃大好きだった女優山科ゆりを取り上げてもらったから、いいとしよう。
(2009/08/19 投稿)
先にあげた二つの路線に代表されるもの、それがセックスとバイオレンスということになる。
それはテレビでは視聴できないジャンルという映画会社側の思惑があったことと推測できるが(そう考えた場合、松竹の『男はつらいよ』シリーズは稀有のような存在であった)、作り手である監督をはじめとした表現者たちはまったく別の意図として、それらを表現しようと試みたのが当時の作品群だったように思える。
作り手側には、60年後半に始める「アメリカン・ニュー・シネマ」の表現方法が念頭にあったにちがいない。それは、観客側の心のありようとしても、そうであった。何かから打破しようというもがきが、観る側にも作る側にもあった。70年代はそういう時代ではなかっただろうか。
筆者である樋口尚文氏は、秀作だけでなくほとんど評価の対象にもならない駄作をもとりあげることで、当時の作り手が奮闘した「裾野の拡がり」に言及し、そこから逆射するように「現代の明るく清潔で画一的なシネコンプレックス=シネコン文化」の奮起を誘導しようとしている。
そして、それは、苛立つよりもまず諦めてしまう現在の社会そのものに対する、警鐘と読み取れないわけではない。
できれば、もう少し図録の掲載をして欲しかったし、索引も載せてもらいたかったが、あの頃大好きだった女優山科ゆりを取り上げてもらったから、いいとしよう。
(2009/08/19 投稿)
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