08/24/2009 「さいたまブッククラブ」八月例会、そして「読書会」を考える

七月は会の夏休みでお休みでしたから、
今月は久しぶりの集まりでした。
今月も新しい人が、しかも若い青年とお嬢様と、お二人も増え、
総勢九名の参加でした。
しかも、日本経済新聞のK記者さんも「読書会」の取材でお見えになり、
ますます楽しくなってきました。

たぶん、全国各地でいろいろな集まりがあって、
参加されている人の多いと思います。
K記者も、「どうして今、読書会が流行っているのか」という観点から
取材に来られているのですが、
会そのものは色々な運営方法があって、交流会のような感じのところもあるでしょうし、
シニアのみなさんの余暇のようなものもあるかと思います。
ビジネス書だけを話す会もあるでしょうし、
一冊の本を互いに語り合う、そういう形もあると思います。
たまたま「さいたまブッククラブ」というのは、メンバーの性別も年齢制限もなく、
それぞれが「これは」という本を話すというスタイルだったということ。

何ヶ月か前にメンバーのMさん(女性)が初めて参加した時に言っていた言葉が
印象に残っているのですが、
「本の話ができる人が自分のまわりにいない」ということです。
今回初参加のS青年もよく似ていて、
彼は「本で語り合いたい」と言っていました。
では、私はどうなのかといえば、
私も同じですね。
仕事の話やゴルフの話で会話が成立するのであれば、
「本の話」でも、何人かが集まっても、それだけで話ができるんじゃないかという
興味ですね。
現代の「読書会」のブームが若い人を中心にして、
「自分を高める」ためのものにシフトしているのであれば、
それも方法として否定はできないですが、
本というのはもっと幅広い世界だと思います。
そういう世界を知ることが、「読書会」の魅力ではないでしょうか。


Sさんが『ブッダ』(ディーバック・チョプラ著)
を紹介されていましたが、
そのあとで、宗教の話がでたり、
チョプラという著者の話がでたりする。
あるいは、Mさんが紹介した「昭和13年の地図帖」。
国の話になったり、昔の表記にびっくりしたりする。
ちなみに、それが横の写真。
表記が右から書かれています。
Sご夫妻の奥さんは、『三式簿記の研究』(井尻雄士著)を紹介された時には、
さすがに驚きましたが、これだって話がはずむ。
ご主人は『エリゼ宮の食卓』(西川恵著)という本で、
名前も知らないワインがでてきたり、
フランスの外交と日本の外交の話がでてくる。
Oさんの『回想十年』(吉田茂著)では、やっぱり選挙に行かないとうなづいたり、
主宰者のNさんの『まんがで読破 死に至る病』では、
マンガで哲学が語れるかみたいな話になる。
そのあとで、新人のO嬢が杉浦日向子さんの『百物語』と、
これは本当に漫画で、
それだって話が成立する。
S青年(この人はあとで知ったのですが、
私が行った大江健三郎さんの講演に、参加されていたとか)は、
『紫苑の園/香澄』(松田けいこ著)の不思議な世界を話される。
後で知ったのですが、
この著者はあの『銭形平次』を書いた野村胡堂の娘さんで、
知っていたら、銭形平次の世界にはまったかもしれない。
残念。

丸であっても三角であっても、赤であっても黒であっても
いいので、
そういう世界があることを「読書会」のような場で広がればいいのでは
ないでしょうか。
たまたまbk1書店の書評を読んでいて、
和田浦海岸さんが『多読術』(松岡正剛著)の書評のなかで、
石垣りんさんの「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」という詩を引用されていました。
この詩の最後の一節がいい。
それらなつかしい器物の前で
お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう、
それはおごりや栄達のためでなく
全部が
人間のために供せられるように
全部が愛情の対象あって励むように。

「読書会」は本をなかだちにして、その世界の広がりを知ることだと
思います。

吉村昭さんの句集『炎天』。
内容は、明日のブログに書きます。
それにしても、今回Mさんが持参した「尋常小学地理書附図」というものの裏に
書かれていた「茂木菊夫」という名前。
昭和13年の「茂木菊夫」君が、その後、どんな人生をおくられたのか、
気になって仕方がありません。
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