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プレゼント 書評こぼれ話

  先日の「さいたまブッククラブ」八月例会で、
  私が紹介したのが、吉村昭さんの『炎天』という句集でした。
  どうしてこの本を取り上げたかというと、
  句集の書評がどこまでできるかということを
  試してみたかった。
  これってなかなか難しいですよね。
  吉村昭さんは作家だから、彼の仕事にそくして書いてみましたが、
  純粋に俳句だけであればなかなか書評として
  書くのは難しいような気がします。
  それと、やはりこういう句集のような本もありますよって
  伝えたい気持ちもありましたね。
  絵本とかは好きな人がたくさんいて、
  いろんな形で評価されているようですが、
  句集となると、
  なかなかそれもままならない。
  そうではなくて、やはりそういうことをうまく伝えてみたい
  と、いうことがあります。
  たまたま作家である吉村昭さんという大きなブランドがついているので、
  句集にふれてみる、いい機会になればと思います。

   追伸   たまたま今日(8.25)の朝日新聞「文化面」を読んでいると、
         この句集の紹介記事が出ていました。
         「人間吉村昭、222句に凝縮」と題された、
         佐々木正紀さんの署名記事です。
         さすがにうまい。とても参考になりました。
         興味のある人はぜひ読み比べて下さい。

      
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炎天炎天
(2009/07)
吉村 昭

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sai.wingpen  作家が遺した句集                     矢印 bk1書評ページ

 作家吉村昭が、妻で同業の津村節子や知人の編集者、画家たち総勢八人で句会を始めたのは、1977年9月13日のことだった。第一回めの句会には、「鶏頭」「運動会」「月」「蜻蛉」「落鮎」と、秋らしい兼題が並んだという。
 メンバーのなかに俳人の石寒太がいたことから、この句会は「石の会」と名付けられたようだが、石寒太をのぞく七人は俳句はほとんど素人同然で、吉村昭も学生時代に少しは俳文学を学んだ程度で、その頃に作った句が「今日もまた桜の中の遅刻かな」というものだから、いくらその後作家になったにしろ、俳句の程度といえば知れたものであったにちがいない。
 本書は、そんな吉村昭の唯一の句集である。
 句会のメンバーたちが中心となって編まれた吉村の還暦の祝いの句集『炎天』と、その後の句会での作品を「補遺」の形で収め、数編の俳句についてのエッセイが掲載されている。
 吉村昭の作家デビューは遅い。
 若い頃に結核を患ったこともあって、『星への旅』(第二回太宰治賞)で実質的に作家として認められるのが1966年、三十九歳の時である。だから、この句会を始めた頃は吉村の全仕事でいえば、まだ風が吹きはじめた時期といえる。つまり、吉村の死(2006年7月)の前年まで続いたこの句会は、吉村の大きな作品群とともに開催されていたことになる。
 では、本句集の俳句から、吉村の緊密で刺激的な物語の片鱗がうかがえるかというと、刑務所を詠んだいくつかの句が『仮釈放』(1988年)を想起させる程度で、きっとこれらの句を作家吉村昭のものと言いあてることができる人は少ないにちがいない。
 おそらく吉村昭のとって俳句とは「余技」であり、膨大な作品群の息抜きであり、句読点だったのだろう。作品のよしわるしはともかくとしても、吉村が楽しみながら句作をしている姿が垣間見れる。句会の途中の笑い声までが聞こえてきそうな句が並ぶ。

 ある時の句会で吉村は「陽炎に狐ふりむき消えにけり」という句を作った。この句に点をいれてくれたのが二人(うち一人は妻の津村節子だったが)で、残りのメンバーには無視されたという。
 その時の情景を描いた短文で、吉村は「ある作品を傑作と思う人もいれば駄作と思う人もいる。それは読む人の生まれつきそなわった鑑賞眼によるもので、その人の素質なのである。(中略)自分の個性とは相いれないものと考えるべきである」(21頁)と、負け惜しみに聞こえそうな、ほほ笑ましい文章を書いている。
 それもまた愉しい時間だったにちがいない。
  
(2009/08/25 投稿)

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