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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介するのは、本谷有希子さんの『あの子の考えることは変』という、
  この間の芥川賞の候補作(残念ながら落選しましたが)です。
  芥川賞の選評を読むと、
  選考委員のみなさんは結構いい点をつけています。
  あと一歩、ということなんでしょうね。
  例えば、高樹のぶ子さんの選評では、
  「一番はっきりと人間に触れることが出来た」としながらも、
  「会話が反射神経で書かれていて文学の会話というより、舞台上の台詞に近い」と
  推せない理由を書いています。
  山田詠美さんは「目で読むおもしろさではなく、耳で聞くおもしろさのような気がする」。
  これってちょっとおかしくありませんか。
  芥川賞は「作品本位」で選ばれたというけれど、
  これらの選評は、やはり本谷有希子さんが劇作家であることを前提にしたものに
  思えて仕方がありません。
  「作品本位」としながらも、その欠点をそうじゃないところから持ってきているような
  気がします。
  もちろん、作品の出来不出来でいえば、
  書評にも書きましたが、肝心なクライマックスが安易すぎると思いますから、
  この作品を強く推せるかどうか微妙ですが、
  「耳で聞くおもしろさ」はあってもいいと思うけどな。
  (注:文中の「芥川賞選評」は「文藝春秋」9月号を参照)

あの子の考えることは変あの子の考えることは変
(2009/07/30)
本谷 有希子

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sai.wingpen  どっちが変なのか                     矢印 bk1書評ページへ

 今回の芥川賞は劇作家や外国人といった「異文化」からの書き手の登場で随分話題をよんだ。
 結果、商社マンの磯崎憲一郎氏の『終の住処』が受賞したが、案外「異文化」という点ではもっとも「異文化」からの誕生だったといえるかもしれない。
 選考委員の山田詠美氏は「芥川賞は一定レベルの文学作品を選ぶ賞」であり、「異ジャンルの書き手ということは評価する上で話題にもならなかった」としている。
 昔よくいわれたような、作家になろうと苦節何十年ということ自体が、むしろ現代の感覚でいえば、「異文化」そのものではないだろうか。そのあたりの感覚から抜け出さないと出版社として、新しい書き手をすくいだせないような気がする。

 女性二人の奇妙な同居生活を描いた本作は、劇作家本谷有希子氏の芥川賞候補作である。
 二人の位置関係をスピード感のある会話で描いた導入部分はあざやかというしかない。
 中学生時代からの同級生だった日田と巡谷。同じ上京組としてたまに連絡を取り合う程度の仲であったが、いつの間にか高井戸の清掃工場のでかい煙突が見える巡谷のアパートに転がりこんだ日田は、煙突から吐き出されるダイオキシンを吸い込んで棲息しているかのようであり、巡谷にいわせると「絶対素手では触りたくない、ちり紙みたい」な女性である。
 この日田の、破天荒な人物像がこの物語に不思議な魅力を与えていて、まさに「あの子の考えることは変」なのだが、あの子のいる世界そのものが変ともいえるような感覚を読む側に与える。

 そんな日田にひきづられるようにして、巡谷もまた、セックスフレンドの襲撃という奇妙な行動にはまっていく。
 この二人を追い込んでいくのは、こちら側のぬべっとした世界だ。
 「私、孤独じゃないってのがどんな感じなのか一瞬でいいから知りたいだけなんだ・・・!」と叫ぶ日田こそ、まっとうな世界の住人であり、日田や巡谷のような人間を取り除こうとするこちら側の世界こそ「変」なのかもしれないと、いつの間にか立場が逆転している。
 それは、本谷有希子の、確信犯的な問題提起である。

 クライマックの清掃工場のでかい煙突を二人で駆けあがる場面はいささか安っぽい映画ような仕掛けなのがいささか惜しまれるが、新しい書き手の魅力を堪能できる作品である。
  
(2009/08/28 投稿)

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