01/31/2017 情人(花房 観音):書評「「情人」とはどんな言葉か」

今年最初の月の最後に
花房観音さんの
『情人』を紹介します。
この本は書評サイト「本が好き!」からの献本です。
ずっと読み続けてきた
花房観音さんの本を頂いたので
結構夢中になって読みました。
最近の花房観音さんの傾向としては
官能場面が少なくなった印象を受けますが
この作品も官能場面はありますが
それほどどぎついものではありません。
ただ作品の濃さも
これはあまりよくないかも。
ただ男性読者と女性読者では
評価はわかれるかもしれませんが。
じゃあ、読もう。

広辞苑に「恋人」はもちろん載っている。「恋しく思う相手」とある。
では「愛人」はどうか。これもある。「愛する人。恋人」とある。または「情婦・情夫」とあるが、どうも現在使われているようなニュアンスの説明ではない。
本作のタイトルの「情人」はどうか。あまり使われないので載っていないと思っていたが、あった。「じょうじん」または「じょうにん」と読む。
「意中の人。恋人」とある。「または、情事の相手」とあるではないか。
ようやく、たどりつけた。
花房観音のこの作品にはこう書かれている。
「情欲でつながっているのだから、この男は私の情人だ」。
けれど、読者は主人公である笑子の男を求める感情が理解できるであろうか。
何故ならこの男はかつて笑子の家族を棄てた母親の「情人」でもあったのだから。
そのことが明らかになったのは、1995年の阪神大震災の時。
行方のわからなくなった母親は男の背におわれて笑子たちのもとに戻った。
おそらく、「揺れる」感覚でつながっていたのだろう、花房はそれに性の揺らぎのようなものも意識したかもしれないが、2011年の東日本大震災の時、同じ男に組み敷かれていたのは笑子だった。
この時、男は笑子の「情人」だった。
男に魅かれる物語を書くとしたら、その男に女たちが吸い寄せられるような魅力をどう表現するかが大事になる。
花房のこの作品でいえば、残念ながら、笑子が母親を嫌悪しながらもそれでも魅かれるだけの魅力をこの「情人」には感じられなかった。
残念である。
(2017/01/31 投稿)

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