東日本大震災から明日で6年。
 今日はその1日前にあたります。
 6年前の3月10日、
 海は穏やかだったでしょう。
 山は静かだったでしょう。
 鳥も樹々も今しばらく春を待っていたでしょう。
 そして、人たちもまた。
 たった1日。
 時がまわって
 私たちは未曽有の経験をすることになります。
 なくなった人たちの
 悲しみにくれた人たちの
 6年前の3月10日を想像するだけで
 つらくなります。

 先日(3月6日)、
 
生活クラブ生協川口ブロック浦和東支部主催の
 「大地を受け継ぐ」という映画の上映会と
 この映画の井上淳一監督の講演会に
 行ってきました。

  

 「大地を受け継ぐ」について
 少し書いておきます。
 この映画は福島で農業を営む樽川和也さんの家を
 11人の学生がたずねていくところから始まります。
 福島で農業といえば
 これまでにも多くの報道があったように
 東日本大震災の際に起こった
 福島原発事故による放射能汚染で
 樽川和也さんの畑も被害にあってしまいます。
 収穫まぢかだった8000株のキャベツを
 放棄せざるをえなかったといいます。
 農家の人にとって
 丹精込めて育てた野菜は子供同然だったでしょう。
 そんな中
 樽川和也さんのお父さんが絶望し、自ら死を選んでしまわれます。
 この映画は
 11人の学生たちを前にして
 樽川和也さんとお母さんが
 原発事故以降の理不尽な日々を
 淡々と語る姿を追った
 ドキュメンタリーです。

 ここには劇場映画で体験するような
 起承転結はありません。
 けれど、井上淳一監督はこの映画について
 こんなことを書かれています。

    言葉を撮ること - 言葉を語る彼を
    言葉に詰まる彼の沈黙を撮ること -で、
    言葉の向こう側にあるものが想像できるのなら、
    それこそが映画ではないか。

 上映後の講演会でも
 井上淳一監督は同じようなことを
 話していました。
 「樽川さんの沈黙の向こうに福島の人々の声があるのではないか」と。
 そして、
 「想像してみて下さい」と。

 福島市出身の詩人長田弘さんが
 こんなことを書いています。

    沈黙とは - 語られなかった悲しみのことだ。

 沈黙という言葉が
 つながっていきました。
 発せられないものであっても
 私たちは想像する力でその向こうにあるものを
 理解することができるのです。

 映画の中で
 「風評被害なんかではない。実際に被害はあるんだ」と
 語る樽川和也さんの言葉の
 なんと重いことか。

 あれから6年が経とうとしていますが 
 私たちは何も知らないのではないか。
 あるいは
 何も知ろうとしていないのではないか。
 そんなことを突き付けられた映画でした。
 大きな劇場では上映されないだろう
 映画ですが
 もし機会があれば
 ぜひ見て下さい。

 受け継ぐのは
 私たち一人ひとりなのですから。

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