プレゼント 書評こぼれ話

  今日は遠藤周作の『沈黙』。
  この本を読むに際して
  私が手にしたのは
  昭和51年52刷の新潮社の「純文学書下ろし特別作品」です。

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  初版は昭和41年3月とあります。
  この本をかつて読んだ日付は
  はっきりしています。
  どうしてかというと
  昔の手帳に
  この本のことが記されているからです。
  読んだのは1980年4月4日、金曜日。
  「再読」と書いていますから
  もう何回か読んでいたのでしょう。
  手帳にはこんな一節が
  書き留められていました。

    罪とは人がもう一人の人間の人生の上を通過しながら
    自分がそこに残した痕跡を忘れることだった。


  うーん。
  今回読んで、この一節に気がつかなかったのは
  感性の劣化かな。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  わたしもまたキチジロー                   

 遠藤周作は2016年に没後20年を迎えた。
 それに合わせてさまざまな企画があったが、なんといってもこの『沈黙』がマーティン・スコセッシ監督によってハリウッドで映画化されたということが大きい。
 その影響も大きかったのだろう、新潮文庫の同作品が累計で200万部を超えたという。
 そういう機会も再読には必要だ。
 私も何十年ぶりかで本棚からこの作品を引っ張りだした。

 この作品はキリシタン禁制の江戸時代に自らの師である司祭が棄教したという噂の中、危険を賭して日本に渡ってきた一人の青年司祭ロドリゴの苦悩を描いている。
 日本までの案内人としてかつてキリシタンでありながらその弱さゆえに転んだキチジローという塵のような男を描くことによって、ロドリゴの苦悩がより鮮明になっている。
 この作品を最初に読んだ時にはこのキチジローの、弱い者ゆえに持つ苦悩が重要なテーマであると思っていたが、今回読むと、やはり主人公はロドリゴであり、キチジローは彼の合わせ鏡に映る人物設定だということがわかる。
 誰の心にも神がいれば、キチジローという弱き男もいる。

 「人間には生まれながらに二種類ある。強い者と弱い者と。(中略)お前はどちらの人間なのだ。」
 ロドリゴは何度もこういった問いかけを自分にし、神はどうして黙ったままなのかと問う。
 最後に彼は神の言葉に導かれて、踏み絵に足をかけるのだが、本当はキチジローの姿を通して何度も神は語っていたのだろう。

 神とは何かを問うたこの作品は、弱さとは何かを問うた作品でもある。
  
(2017/03/28 投稿)

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