プレゼント 書評こぼれ話

  昨日佐野洋子さんのエッセイをもとにした
  『ヨーコさんの”言葉” それが何ぼのことだ』を
  紹介しましたが
  その原作? のエッセイを載っているのが
  今日紹介する
  『神も仏のありませぬ』です。
  このエッセイ集には
  私の好きな「何も知らなかった」や
  愛しの猫フネの死を描いた「フツーに死ぬ」などが
  収められています。
  年をとって、
  なんて62歳の私がいうと
  何をいってるの、まだまだ、なんて
  叱られそうだが、
  人にはそれぞれ寿命があるのだし
  全員が平均寿命まで生きるとも限らない。
  げんに
  今の私よりずっと若くして死んだ人はいっぱいいる。
  そんなことを思いつつ、
  三月を見送る。

    弥生尽老いとは何ぞ答え出ず    夏の雨

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  人はいつから晩年をむかえるのだろう                   

 佐野洋子さんといえば、『100万回生きたネコ』に代表されるように絵本作家となるのでしょうが、エッセイを書かせても実にユニークで、この人は言葉が根っこに生きている人なんだと思わせるものがある。
 このエッセイは2003年秋に刊行され、2008年に文庫本になっている。
 佐野さんが還暦を迎え、北軽井沢(佐野さんの文章でいえば群馬県の山の中)で暮らしていた64歳から65歳あたりの日常を描いたエッセイである。
 佐野さんは2010年に72歳に亡くなっているから、晩年にあたるのだろうか。

 いや、ここに描かれた世界はけっして晩年ではない。
 実際、この本の「あとがきにかえて」で、佐野さんは「しかし、私は全然死なないのだ」と書いている。
 この本に収められている18篇のエッセイには死の影は濃いが、それはまだ生きることに強く拘っている人間が描く死ともいえる。

 「ありがたい」というエッセイで「自然は偉い。理屈をこねず、さわぎも致さず、静かにしかしもえる命をふき出そうとしている」と描かれている。
 その一方で「人間はそうはいかない」と記す。
 佐野さんは「そうはいかない」側にいる。
 そういう側として、この時期の佐野さんは老いとか死を意識しながらも、けっして晩年というよりはまだまだ生き生きとっしている時期でもある。

 このエッセイに登場してくる佐野さんの隣人や友人たちはまるで倉本聰さんが描いた「北の国から」の住人たちのようであったことも追記しておく。
  
(2017/03/31 投稿)

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