プレゼント 書評こぼれ話

  昨日(4月5日)の夕刻、
  詩人の大岡信(まこと)さんの訃報が
  速報で流れました。
  86歳だったそうです。
  私にとって
  大岡信さんは詩人であるよりは
  朝日新聞朝刊に連載していた
  「折々のうた」の著者としてありました。
  1979年1月25日、
  この日から連載が始まりました。
  このコラムで
  日本の短詩の魅力にはまった人も多かったと思います。
  連載が岩波新書としてまとめられて
  第一集が刊行されたのが
  1980年3月です。
  その「あとがき」で大岡信さんは
  新書予告の一文を再掲しています。

    和歌も漢詩も、歌謡も俳諧も、今日の詩歌も、ひっくるめてわれわれの詩、
    万人に開かれた言葉の宝庫。
    この常識を、わけても若い人々に語りたい。

  日本語の美しさはこの本から
  教えてもらったように
  今更ながら感謝しています。
  今日は追悼の意を込めて
  昨年7月に書いた
  『自選 大岡信詩集』を再録書評
  掲載します。

  心からご冥福をお祈りします。

  大岡信さん ありがとうございました。

  

sai.wingpen  詩人とは                   

 詩人大岡信(まこと)に注目したのは、昭和54年(1979年)から朝日新聞で始まった「折々のうた」以降だ。
 そういう人は多いだろう。
 短詩に大岡による短いコメントが付記されたこの連載は好評を博し、2007年まで連載された。新聞連載のあとには1年分がまとめられて岩波新書で出版された。
 そういう啓蒙的な活動に注目が集まってが、大岡は詩人である。
 こうして岩波文庫で、自選となるぶ厚い詩集が出るくらいであるから。

 しかし、正直にいえば大岡の詩はほんのいくつかを除いてほとんど今回が初めてといっていい。
 最近岩波文庫になった詩人でいえば、谷川俊太郎や茨木のり子、あるいは石垣りんといった戦後の詩人に比べて聞き知った詩は断然少ない。
 彼らの詩が時に平易すぎるような言葉で紡がれている一方、大岡の詩は極めて真面目な印象を受ける。
 それは、この文庫の解説を書いた三浦雅士の文章から引用すれば、「まず批評家として登場」したことが原因しているのだろうか。
 批評家としての言葉と詩人としての言葉のありようが違うのかもしれない。
 教科書的な、という感じさえする。

 けれど、そんな大岡がいなければ、現代の日本語はもっと小さな世界になっていたかもしれない。
 自ら歌うことはなかったが「折々のうた」で大岡が為したことの意味は大きい。
 詩人はただ歌うのではなく、詩のこころを広めることも使命である。

 最後に書き留めておくと、大岡の詩では「はる なつ あき ふゆ」がいい。
   
(2016/07/15 投稿)

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