05/09/2017 折々のうた(大岡 信):書評「「言葉の宝庫」を堪能しよう」

これまでにたくさんの本を買って
たくさんの本を売ったり
なくしたりしてきました。
住居スペースの問題もありますから
仕方がありません。
それでもちゃんと残った本がたくさんあります。
時々それらの本を眺めながら思うことは
この本をもう一度読むことは
あるのだろうかということです。
そんなこと思うこと
ありませんか。
大岡信さんの『折々のうた』シリーズも
私の蔵書に残ったもの。
今回再読しようと考えたきっかけは
書評に書いた通り
大岡信さんの逝去ですが
これをはじめにして
シリーズを順番に読んでいこうと
思っています。
ちなみにこの巻で心に残った短詩は
天の海に雲の波立ち月の船星の林に漕ぎ隠る見ゆ 柿本人麻呂歌集
「月の船星の林」、いい日本語じゃないですか。
じゃあ、読もう。

久方ぶりに本棚から引っ張りだして読んでみるきっかけは、著者の大岡信さんの逝去だった。
著者の死が再読のきっかけなど不謹慎と言われればその通りなのだが、本を開くきっかけはそういうことも必要かもしれない。
特にこの本のように朝日新聞に連載が始まったのが1979年1月、岩波新書として一年分の記事がまとまった1980年3月、それから余りにも長い歳月が過ぎて、そういう本を手にとるきっかけとなれば、著者の死でもあっても仕方がない。
どころか、どういうきっかけであれ若い人にはこの本を読んでもらいたいものだ。
大岡信さんにはこの本を若い人々に読んでもらいたいという思いがそもそもあって、だから手軽な新書として刊行することを希望したと、「あとがき」に記されている。
この「あとがき」であるが、ここから続くどの巻でもこの「あとがき」の文章がよくて、ぜひ味わってもらいたい。
特にシリーズ最初のこの巻では新聞連載と新書版との文字数の違い(ちなみに書いておくと新書版は新聞より30文字多い210字らしい)や、大岡さんがこの連載で試みたこと(これもちなみに書いておくと、「日本詩歌の常識」づくり、とある。これはどういう「常識」かというと、「和歌も漢詩も、歌謡も俳諧も、今日の詩歌も、ひっくるめてわれわれの詩、万人に開かれた言葉の宝庫」であるという常識を、明らかにすることだと読めます)などが記されています。
著者の死が大きなニュースになって、その功績も語られて、この連載や本が出版された時にはまだ親の世代も若かっただろう、今の若い人たちにもぜひ「言葉の宝庫」を楽しんでもらいたい。
(2017/05/09 投稿)

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