プレゼント 書評こぼれ話

  ずっと気になっていたのです。
  沢木耕太郎さんの『無名』という作品のことを。
  2003年9月に刊行された時に読んで
  ずっとその気分のまま
  2010年に母と弟を亡くした時も
  2012年に父を亡くした時も
  この本を最初に読んだ書評をそのまま
  このブログに紹介してきて
  いつかちゃんと読み返さないといけないと思いつつ
  刊行から10年以上たって
  ようやく読み返しました。
  やはり、
  いい作品でした。
  今回の書評のタイトルは
  作中で出てくる
  沢木耕太郎さんの俳句、

    ぽつぽつと命のしずく秋の雨

  からとりました。

  じゃあ、読もう。



sai.wingpen  命のしずく                   

 有名であれ無名であれ、人には等しく死の瞬間がやってくる。
 死はその人のものではあるが、その人の周りの人のものでもある。
 ノンフィクション作家沢木耕太郎のこの作品は自身の父の死を迎えるまでの日々とその死がもたらした父への思いを切々と綴った名作である。
 全9章に分かれた長い作品の、後半第7章「白い布」の書き出しから4行めに、「お父さん、もうだめみたい」と、沢木の上の姉の言葉がぽつんと置かれている。
 その時、私は思い出していた。
 この作品を最初に読んだ2003年の秋もこの言葉に胸がつまったことを。
 死が近づきつつある人を前にして、どのように向き合えるか。
 まして、それが愛した肉親の場合であればなおさら、この言葉が身に染みる。

 最初に読んだ痕跡が付けられた付箋で残っていた。
 それはこんな箇所。「子供は親のことなどほとんど知らないまま見送る時を迎える。」
 そう書いた沢木はそれでも懸命に父のことを知ろうとする。
 父が残した俳句を手だてにして。
 けれど、読者は気がつくだろう。沢木のその行為は自身を知ろうとすることであると。
 父であれ母であれ、彼らの人生を知ることは自分の出自を知ることだ。
 そして、それはその先にある者たちへと続く、いのちの時間でもある。

 「死者はその最もふさわしい時に死ぬことになるはずだ。どんな月であれ、死んだ月が彼の月なのだ」。
 こういう文章を読むと、思わずにはいられない。
 人は死ぬことで残された者たちへきっと確かなものを残すのだ。
 そう、それは「命のしずく」のようなものかもしれない。
  
(2017/07/18 投稿)

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