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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は日本文学の名作のひとつ
  大岡昇平の『野火』を
  紹介します。
  実はこの作品を読むのは恥ずかしいことに
  初めてで
  もちろん作品のことは知っていましたが
  食指が動かなかっただけで
  今回読んでみて
  若い頃に読んでいたらと
  後悔しきりです。
  この夏、この作品を原作とした
  映画「野火」を続けざまに二本観ました。
  一本は1959年の市川崑監督の作品、
  もう一本が2015年の塚本晋也監督のそれ。
  両作ともに評価の高い作品です。
  特に市川崑作品の方が原作に沿っていたように
  思います。
  塚本晋也監督のそれもまた
  カラーになった分
  美しさと残虐が見事に映像化されていました。

  

  それもこれも
  若い時に観れば
  また違った感想を持ったことでしょう。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  古びることのない名作                   

 言わずと知れた大岡昇平による戦後の戦争文学の傑作である。
 大岡はこの作品を1951年(昭和26年)雑誌に発表し、その翌年単行本として出版している。戦争が終わって6年である。
 もとより自身のフィリピンでの戦争体験が基になっているから記憶が残る時間の中での執筆だろうが、おそらくその場に居た人間しか体験していないことをこうして文学作品まで昇華させるには、単なる時間の経過だけではない精神的な葛藤があったと思える。
 その結晶がこの作品の、なんとも気品のあるインテリゲントな文体である。

 この作品でいえば、後半の核となる人肉食が強烈ではあるが、私は物語の前半部分、主人公の田村一等兵が所属する部隊から芋数個を持たされ放り出され、向かった戦場の病院でも捨て置かれ、やがては一人フィリピンの島をさまよい歩く場面の連続の方が印象深い。
 その中で主人公は死と向かいあっていく。
 第八章の「川」にこんな描写がある。
 「死は既に観念ではなく、映像となって近づいていた」。
 けれど、主人公はその映像として目の前の川の流れを目にする。そこにある「無限に続く運動」を見て、自身もまた「いつまでも生きる」であろうことを確信する。
 そこには精神的に脆弱なインテリジェントの姿はない。
 知的であるゆえに、あるいは戦場がその知的さを強固なものに変容したともいえる、この男は生きることを選んだのである。

 おそらくこの作品は古びることはない。
 何故なら、生きることの問いがこの作品には埋め込まれているのだから。
  
(2017/09/05 投稿)

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