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プレゼント 書評こぼれ話

  今日の東海林さだおさんの『キャベツの丸かじり』の書評のなかで、
  新聞紙と食べ物の関係について言及(おおげさですね)しましたが、
  ひとつだけ書かなかったことがあります。
  それは、食事の最終段階というか、
  おトイレの話。
  おいおい、日曜日にそんなこと書くなよな、くそっ、
  と思った、あなた。
  その、くそ、です。
  ちがった大便の話。
  しかし、これは歴史の真実だから、
  書いとくに越したことはない。
  昔のおトイレには、新聞紙が常設されていたという真実。
  なーんだ、そんなの、
  とうさん、毎日持ってはいってるよ、というのではなく、
  トイレットペーパーの代用として、
  新聞紙を使っていたのです。
  ええー、ってびっくりしたあなた。
  お若いのう。
  この国はそれぐらい貧しかった。
  でも、お尻にもニュースをつけて? いたほど、
  活字には熱心な国でありました。

キャベツの丸かじり (文春文庫)キャベツの丸かじり (文春文庫)
(1994/11)
東海林 さだお

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sai.wingpen  新聞紙の効用                矢印 bk1書評ページへ

 東海林さだおさんの食べ物エッセイ「丸かじり」シリーズの魅力は、細部へのこだわりと具象性にあります。
 この『キャベツの丸かじり』に収められた「懐かしののり弁」という章にこんな文章、
 「弁当包みは、布製のやつなんかではなく、新聞紙でなければならぬ。その新聞紙は、弁当を開いたとき、醤油のシミがついてなければならぬ」。
 これこそ、紙は細部に宿る、醤油のシミは新聞紙に宿る、の見本のようであります。
 この文章だけで、新聞紙のはしっこに、弁当箱の醤油またはおつゆのシミがにじみでていたときの切なさが、シミジミわきおこるのであります。
 「まったく、かあちゃん、また汁物を弁当のおかずにしたな」と、ぼやきたくもなるのです。
 さらに、弁当箱の横にあった、地図帖なんかの端も、醤油のシミで濡れて、ぼわぼわになっているのに、怒りが爆発します。
 「だから、おでんなんかおかずにするなといったのに」

 この弁当箱の例をみるまでもなく、新聞紙と食べ物とは実に長い間、蜜月の時代を過ごしていました。
 相性がよかった。
 たとえば、焼きいもと新聞紙。
 あのほっかほっかの焼きいもは新聞紙でくるまれて、はじめてこれから寒い季節がやってくるのだなという風情がでるというもの。
 しかも、この場合は政治面ではなく、文化面あたりの新聞紙の方が似合う。
 「枯れ葉よ~」とシャンソンがあれば、もっといい。
 秋といえば、サンマ。
 これだって、新聞紙にぼーんと放り投げられて、くるくるって丸められて売っていた。
 おお、サンマを一匹買ったぞ、という気分になる。
 この時はTV面か、社会面がいい。
 「だんなを出刃包丁でさした」とか、「隣家の煙が目にしみたから」みたいな、事件ものが似合う。
 まるまるぼーんといえば、新聞紙とタクアンもそういう関係にあった。
 これは、教育面がいい。
 なにしろ、タクアンのことは「こうこう」(孝行)というではないか。

 このように、新聞紙と食べ物は、相思相愛だったのだ。
 それなのに、最近ではどうも不仲説がながれていて、一部ではすでに破局か、とまで噂されている。
 弁当箱を新聞紙で包みますか。
 焼きいもを新聞紙で包みますか。
 サンマは。タクアンは。
 すべて、NOなのです。
 いったいどうしてこんなことになってしまったのかを丸かじりレポーター諸氏が追求したところ、どうも食べ物さんの浮気が原因らしい。
 新聞紙さんの容姿がみすぼらしい、貧しくみえて仕方がない、そういうあたりが原因のようだ。
 あるいは、包み紙が包み紙として成立したことやビニール袋の台頭がめざましいことも考えられている。
 それでいて、英字新聞はまだまだオシャレということで人気がある。
 弁当箱に、ニューヨーク・タイムズ。
 焼きいもに、ル・フィガロ。
 サンマに、プラウザ。
 タクアンに、人民日報。
 たしかに、グローバルではありますが。
  
(2009/10/04 投稿)

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