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プレゼント 書評こぼれ話

  昨日、
  『主よ一羽の鳩のために』という
  須賀敦子さんの詩集を紹介したので
  今日は須賀敦子さんの
  児童書のような一冊、
  『こうちゃん』を
  再録書評で紹介します。
  この書評を書いたのは
  2004年ですから
  もう14年も前のことです。
  須賀敦子さんが亡くなって
  20年ですから
  結構以前から須賀敦子さんのことを
  気にしていたのですね。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  涙さしぐみ(なきそうになって)                   

 日本語の文章は誰が書いても同じようなものと思いがちだが、須賀さんの文章を読むと書き手によって大きな違いがあることがわかる。同じ言葉を使いながら下品な文章になってしまう人もいれば、須賀さんのように品のいい文章を書く人もいる。
 須賀さんの文章は例えていうなら、文字の一つひとつをピンセットで拾いだしながら言葉にし、ゆっくりと文章に仕上げていく活字拾いの職人さんのようだ。
 須賀さんが好きだった宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の一節に、主人公ジョバンニがこの活字拾いの仕事をしている場面が描かれている。

 「ジョバンニはその人の卓子の足もとから一つの小さな平たい函をとりだして向うの電燈のたくさんついた、たてかけてある壁の隅の所へしゃがみ込むと小さなピンセットでまるで粟粒ぐらいの活字を次から次と拾いはじめました」(宮沢賢治『銀河鉄道の夜』) 

 印刷業界ではこの活字を拾う工程のことを「文選」というが、須賀さんの文章はこの「文選」という美しい言葉にふさわしい。試みに、須賀さんの「ただ一つ のこされた ちいさな物語」である、この『こうちゃん』のどの頁でも構わないから読んでみるといい。童話仕立ての掌編ではあるが、言葉の一つひとつが柔らかな調べを奏でていることに気がつくはずだ。

 そんな須賀さんがこの作品で描こうとした「こうちゃん」って何だろう。
 この本の挿絵を描いている酒井駒子さんの画があまりにも素敵すぎて、つい表紙画の幼児をイメージしてしまうだろうが、この本を読んだ全ての人にそれぞれの「こうちゃん」がいるように思えてならない。
 この作品が須賀さんのミラノ在住と同じ年に書かれたことを思うと、須賀さんがこの作品で描きたかった「こうちゃん」が日本という国のことであり、日本語という豊かな言葉であり、先へ進もうという自身の背を押しやってくれた「そのまんまの」須賀さんだったように思える。

 作品集『遠い朝の本たち』に収録されている『赤い表紙の小さな本』という作品の中で須賀さんは級友の言葉に触れ、その言葉にどれほど勇気づけられたことかと書いている。
 十五歳の須賀さんにあてて書かれた級友の言葉、それは「個性を失ふという事は、何を失ふのにも増して淋しいもの。今のままのあなたで!」というものだった。そのまんまでいい。そのことが「どちらを向いても、変ってる、といわれつづけて頭の上がらなかった」須賀さんにとってはありがたい言葉であった。
 「そのまんまの」須賀さんは、だからミラノに住むことを決意し、言葉を一つずつ集める丁寧な文章を書き続けことができた。
 須賀さんの傍らにいつづけた「こうちゃん」こそ、「そのまんまの」須賀さん自身だったのではないだろうか。そして、この本を読んだ全ての人にとっても、「こうちゃん」とは「そのまんまの」自分自身ではないだろうか。
  
(2004/04/11 投稿)

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