06/19/2018 回想太宰治(野原 一夫):書評「若き編集者が見た晩年の太宰治」

今日は桜桃忌。
林道を深くも来たり桜桃忌 波多野 爽波
そこで今日は
野原一夫さんの『回想 太宰治』を
紹介します。
この回想記に登場する人物の
多くはすでに鬼籍にはいっていますが
太宰治が当時純粋にかわいがった少女
林聖子さんは
今でもお元気いらっしゃいます。
先にこのブログでも紹介した
「東京人」7月号でも
作家の堀江敏幸さんと対談して
「太宰さんの指、その関節が長くてすごくきれいでした」と
実際にその眼にとどめた
太宰治のことを
回想しています。
あわせて読むと面白い。
じゃあ、読もう。

太宰治の生前、彼を慕うように多くの若い編集者が彼のまわりに集まった。
中でも高校の時から太宰に講演を依頼したり習作を見せたりして私淑していたこの作品の著者野原一夫氏は学校を卒業後、新潮社に入社し、同期入社の野平健一氏とともに晩年の太宰の様子をもっともよく知る編集人の一人だ。
晩年の太宰とは、もちろん代表作ともいえる『斜陽』や『人間失格』を書いた作家であり、同時に『斜陽』のモデルとなった太田静子さんと子ども(作家の太田治子さん)誕生のことで悩み、そして毎夜のように酒を飲み、やがて山崎富栄さんと情死にいたる、そんな日々を過ごしていた頃である。
そんな晩年の太宰を回想したこの作品は1980年に初版刊行され、没後50年にあたる1998年に「新装版」として出版された。
その時、野原氏は「太宰治歿後五十年に際し」という巻末の文章で、昭和28年の第4回の桜桃忌の写真が残っているが、歿後50年も経つと、その多くの方が亡くなっていると、時の経過を偲んでいる。
太宰が亡くなった時、自分(野原氏)はまだ25歳の若者だったが、亡くなる前の1年8ヶ月、三日にあげず太宰に会っていたという。
この時から、さらに20年。今年(2018年)は太宰治の没後70年にあたる。
そして、そんな野原一夫氏ももう生存していない。(1999年に亡くなっている)
回想の中でなんといっても印象的なのが、太宰の死の様子である。
6月13日にその消息がわからなくなり、雨の玉川上水で19日の早朝、太宰と富栄さんは遺体で見つかる。
人にその姿を見せまいと若い野原氏たちはまわりを取り囲んだとある。
まさにそこから太宰治は「伝説」となっていったような気がする。
(2018/06/19 投稿)

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