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プレゼント 書評こぼれ話

  日本映画にこの人ありといわれた
  脚本家橋本忍さんが
  7月19日亡くなられました。
  100歳でした。
  私は橋本忍さんについて
  いくつか思い違いをしたことがあります。
  一つは、
  初めて黒澤明監督の「七人の侍」を観た時です。
  脚本の中に橋本忍という名前を見つけて
  それがその頃「砂の器」とかで有名だった橋本忍さんと
  同じ人だと気付かなかったことです。
  もう一つは
  100歳までご存命だったということも
  知りませんでした。
  戦後日本映画の名画と呼ばれる作品の多くに
  橋本忍さんは関わってこられました。
  訃報のあと
  小林正樹監督とタッグを組んだ「切腹」(1962年)を観ましたが
  何度観ても
  映画の面白さを感じさせてくれる作品です。
  今日は
  橋本忍さんが黒澤明監督との日々を綴った
  『複眼の映像』を再録書評
  掲載します。

  橋本忍さん
  いい映画をありがとうございました。

  ご冥福をお祈りします。

  

sai.wingpen  人生もまた複眼                   

 橋本忍といえば、戦後の日本映画界を代表する脚本家だ。
 普通映画やドラマを観て、脚本家の名前を意識することは少ないが、例えば向田邦子とか倉本聰とか数人のビッグネームはそれだけで視聴者をひきつけることができる。
 橋本忍は映画界のビッグネームだった。
 私が橋本忍を知ったのは、1974年に封切られた『砂の器』(野村芳太郎監督)だったと思うが、橋本の作品歴からいえば、この作品はほとんど後期の作品となる。
 この後、黒澤明監督作品で橋本の名前を見つけた時は、あの橋本がそういう脚本家だったことの驚きがあったくらいだ。

 橋本の名を一躍有名にしたのは、日本映画ではじめてヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞した
 黒澤明の『羅生門』(1950年)からである。
 そういうことを思うと、私が橋本を知ったのはうんと遅いくらいで、恥ずかしくなる。
 この本はそんな橋本がシナリオの世界にどのように目覚め、戦時中の傷痍軍人療養所で隣のベッドにいた男から借りた雑誌でシナリオを知るこのエピソードも極めてドラマチックだ、その後黒澤明との出会いと共同脚本で作品を仕上げていく過程を描いたものだ。
 副題に「私と黒澤明」とあるように、黒澤作品のほぼ全容が描かれている。

 橋本は黒澤明についてこんなことを書いている。
 「黒澤明は芸術家になったために失敗した」と。
 随分辛辣ではあるが、自身は職人と認じていた橋本にとって、黒澤はひとつの憧れでもあったのかもしれない。
特に、晩年黒澤は日本映画界の天皇のように祀りあげられていくが、そういう黒澤を見ていて、橋本自身は悲しかったにちがいない。

 この本では黒澤との交流だけでなく、シナリオの基本のような事柄も多く記載されている。
 例えば、この本のタイトルにもなっている「複眼の映像」とは、黒澤久美の共同脚本方式を評した文章の中で、こう綴られている。
 「同一シーンを複数の人間がそれぞれの眼(複眼)で書き、それらを編集し、混声合唱の質感の脚本を作り上げる」ことで、それが黒澤作品の特長であると。
 そのように観れば、黒澤作品の深さが理解できる。

 橋本忍という脚本家を意識して、映画を再発見するのもいい。
  
(2015/06/05 投稿)

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