08/15/2018 原爆 広島を復興させた人びと(石井 光太):書評「記憶にとどめることの大切さを学ぶ」

今日は終戦記念日。
いつまでもいつも八月十五日 綾部 仁喜
私は昭和30年生まれですから
終戦からわずか10年めで
生まれたことになります。
まだあちこちに戦争の傷跡がたくさんありました。
傷痍軍人の人たちの姿も
小さい頃よく見かけたものです。
きっと広島や長崎では
もっと記憶が鮮明だったのではないでしょうか。
それでも
戦後73年も経って
多くの人の記憶が薄れていく。
それを掘り起こすのも
本の役目かもしれません。
今日は
石井光太さんの『原爆 広島を復興させた人びと』を
紹介します。
じゃあ、読もう。

「復興」といっても、7年前の東日本大震災でもそうだが、簡単なことではない。
岡山や広島、愛媛に甚大な被害が出た2018年夏の大水害も「復興」はまだまだこれからだろう。
「復興」がたやすくなされないのは、指導者の問題もあるだろうし、予算との関係もあるだろう。あるいは新しい計画の策定も関係している。
何よりも人の記憶が薄れることが「復興」の妨げになっているような気がする。
原爆が投下された広島は「今後七十五年間は草木も生えない」と言われたそうだ。
しかし、もちろん時間はかかったが、広島は見事に「復興」したといえるのではないか。
その「復興」にかかわりながら、ほとんど歴史の中に生まれてしまった人びともいて、ノンフィクション作家の石井光太さんは時間をかけてそれらの人びとに光をあてていったのが、この作品である。
「広島を復興させた人びと」として石井さんが取り上げたのは、「原爆資料館の生みの親」ともいえる長岡省吾、「原爆市長」と呼ばれこの時期の広島の舵取りでもあった浜井信三、平和記念公園など広島の新しい街の核の設計に携わった建築家の丹下健三、原爆ドームの保存に尽力をした被爆者の一人高橋昭博。
もちろん「復興」は四人でできるわけではない。おそらく数多くの無名の人たちもまた「復興」に携わったはずだ。
それでも記憶しておかなければならない人たちがいて、石井さんはその人たちを作品の形で残したといえる。
中でも長岡に関していえば、彼の家族内でもさまざまな行き違いが障害となって歴史の片隅に追いやられていて、彼をこうして作品に残しただけでも、この本は価値あるものになったといえる。
(2018/08/15 投稿)

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