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プレゼント 書評こぼれ話

  第159回芥川賞は少し不幸だったかもしれない。
  せっかく高橋弘希さんという新人を輩出し、
  『送り火』という作品を世に送り出しながら
  候補作となった北条裕子さんの『美しい顔』の
  引用問題ばかりが
  クローズアップされることになったからだ。
  おそらくのちの時代で
  この第159回芥川賞を振り返ることがあったとして
  「フィクションと盗用」問題に揺れた回なんて
  いわれるのだろうなぁ。
  選考委員の評価は
  盗用ではないというものではあったが
  なんだかすっきりしない印象を
  受けた。
  次回はすっきりした受賞を期待したい。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  私はこの作品の読み方を間違っていないか                   

 第159回芥川賞受賞作。
 芥川賞受賞作を読み終わったあと、選考委員の選評を読むようにしている。
 自分の読後感と選考委員のそれを比較しようというのはおこがましいが、どの選考委員のそれが自分と近いかを確かめる程度のことだ。
 今回の受賞作の場合、高樹のぶ子委員の読後感に近いものがあった。
 すなわち、「こんな人間の醜悪な姿をなぜ、と不愉快だった」のである。
 そんな批判がありながらも「すんなり受賞が決まった」(奥泉光委員の選評)というのもいささか合点がいかない。

 この作品は父親の転勤で津軽地方の小さな集落に引っ越してきた中学三年生の少年がそこで体験する暴力を描いたもので、高樹委員の選評は先の引用に続き、「文学が読者を不快にしても構わない。その必要が在るか無いかだ」とある。
 ひとつの文学作品にすべての読者が同じ評価を下す必要はないだろうが、高樹委員の言うような必要性は果たしてこの作品にあったのだろうか、私にはほとんどわからなかった。
 高樹委員の選評には「青春と暴力」というタイトルがつけられていて、高樹委員は「暴力」が青春小説のひとつの魅力にもなりうると理解された上での批判とすれば、この作品を「すんなり受賞」とした他の委員とのやりとりが聞きたくなる。

 読書とは「不愉快さ」と付き合う必要のない行為だと思う。
 もちろん何故「不愉快」なのか、自身に問うことは必要だとしても。
  
(2018/10/12 投稿)

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