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プレゼント 書評こぼれ話

  「昭和」が終わった時
  天皇の崩御ということもあり
  誰もが暗く沈んでいたものだ。
  派手な音楽もダメ、
  浮ついた笑いもいけない、
  そんな気分だった。
  それが今回はどうだろう。
  商魂たくましい人たちは
  「平成」最後という冠で
  なんでも商売に結び付けている。
  そんな浮かれ気分のまま
  「平成」は終わってしまうのだろうか。
  司馬遼太郎さんの
  『風塵抄』を読んで
  少しは考えてみてはどうだろう。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  「平成」が終わろうとしている今、この本を読む意味                   

 「平成」最後の正月も過ぎ、そういえば正月が明けて間もない1月8日に「平成」に変わったのだったと覚えている人たちも、もう30歳は優に超えている。
 「昭和」の終りから「平成」という新しい時代にかけて、産経新聞に毎月1回連載されていた司馬遼太郎さんの随筆集をもう一度読んでみたのは、そんな時代の変わり目の気分のようなものであった。
 正確にいえば、この随筆集は昭和61年(1986年)5月から平成3年(1991年)9月まで掲載されていたものをまとめたものだ。
 「風塵」という名前の通り「小間切れの世間ばなし」のつもりで始めたようだが、「やがて内外に前代未聞の事件が相次いでおこり」そうとばかりはいかなかったようだ。
 しかし、「昭和」から「平成」の、いわば極め付けの変化がありながら、その近辺の随筆を読んでも、司馬さんの時代の熱のようなものは感じなかった。
 元号は変わっても、私たちの日常はそんなに変わるものではないのだろう。

 ただし、「平成」に変わった最初の日、つまり平成元年(1989年)1月8日、司馬さんは「空に徹しぬいた偉大さ」という文章をしたためている。これは、この本に掲載されてもいるが、その書き出しは「私どもの日常はつづいているのに、“昭和”が、一瞬で歴史になってしまったのですね」になっている。
 そして、ここで司馬さんは新しい天皇を語るのではなく、お亡くなりになった「昭和」天皇のことを記している。
 もしかして、司馬さんにとっても「平成」最初の日の、とまどいのようなものがあったのかもしれない。
 そんな「平成」が終わろうとしている時、この本であの頃をたどるのも、いいやもしれん。
  
(2019/01/25 投稿)

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