11/14/2009 絵具屋の女房 (丸谷 才一):書評
書評こぼれ話
昨日、丸谷才一さんの薀蓄エッセイは素晴らしい、と
書きましたが、あの多くの作品には、
もう一人、
忘れてはいけない人がいます。
イラストレーターの和田誠さん。
丸谷才一さんの文章はもちろんあれはあれで素晴らしいのですが、
和田誠さんの装丁と挿絵の組み合わせで、
その魅力が倍増、どころか三倍にも四倍にもなっています。
そこで、今日はその魅力を書評に書いた、
丸谷才一さんの『絵具屋の女房』の蔵出しです。
よく、「○○小論」とかありますよね。
でも、小にもならないので「微小」とタイトルをつけました。
結構長い書評ですが。
いつか、きっと
丸谷才一さんの全集が刊行されたりすることがあるでしょうが、
その時の出版社はどこか知りませんが、
なんとしても和田誠さんの挿絵は残して欲しいと
切に、切に、
お願いします。
「装丁」微小論 bk1書評ページへ
おなじみ、丸谷才一さんの薀蓄エッセイ集の最新版である。
宮本武蔵は実在しなかった?!とか甘栗をめぐる歴史的?考察とか、話題そのものも楽しいが、丸谷さんの思考過程が満喫できる一冊である。
でも、どうしてこの本の書名が「絵具屋の女房」なのか。
和田誠さんが描いた表紙の絵具屋の奥さんを見るたびに気になって仕方がない。たまたまこの本の中にも「本のジャケット」というエッセイがあることだし、今回は「装丁」の話をしてみよう。
丸谷さんの本によれば、英語でカバーというのは本の表紙のことで、私たちが日頃本屋さんとかで見ている表紙を覆っているものはラパーというらしい(もうこれだけですごく得した気分になるでしょ?)。
丸谷さんの最近の本のラパーはほとんど和田誠さん(私は大ファン)の手によるもので、丸谷さんも満足しているようだ。粋っていう言葉を使っている。
この本からの孫引きになるが、アラン・パワーズという人がこんなことを言っている。「本は女と同じで、いいドレス・メイカーがついていても悪くない。いや、そのほうがいい」(72頁)。そこからすると、丸谷さんはとても仕合わせなもの書きだといえる。
最近で印象深い作品といえば、丸谷さんが十年ぶりに書き下ろした「輝く日の宮」のラパーである。あの本は内容もよかったが、和田さんの絵の方がもっとよかった(丸谷さんには悪いが)。
私の2003年の装丁ベスト1だ。物語の内容をそこなわず(つまりはラパーの役目がよくわかっているということ)、それでいて見て楽しむというイラストとしての魅力を失わない傑作である。
あの作品では表紙だけでなく、背表紙から裏表紙、そしてできれば折り返しまで広げて鑑賞してもらいたい。特に折り返しに光源氏らしい人物と女房を配置した(あえて表面から隠したとしか思えない)手腕は、物語以上に粋であるとしか云いようがない。
装丁というのは、あまりでしゃばるものではない。
本はやはり書かれた内容が優先する。あまり目立ちすぎると、裏ラパーについているバーコード・マークのように悪く言われるにちがいない(和田さんの偉いところは、あのマークに断固反対しているところで、自分の装丁にはつけさせないらしい)。
それでいて、イラストとしての魅力をださないといけないし、本の売れ具合にも影響するだろうから責任重大でもある。
私たちも本を買う時、そんな装丁家の苦労を少しでも理解すべきだろう。丸谷さんも「本のジャケット」というエッセイの最後にこう書いている。「美を尊重し大切にするのは、人間として自然なこと。本好きな人なら、なほさらの話です」(75頁)。
それでこの本の書名のことだが、ここでいう「絵具屋」って和田さんのことで、「女房」が丸谷さんのことではないかというのが私の推理である。
いつもいい装丁をしてもらっている和田さんをひきたてて、自分はあなたの奥さんみたいなものです、と丸谷さんは和田さんに賛辞を送ったのではないだろうか。
この推理、結構いい線いっていると思うのだが、いかがですか、皆さん?
(2003/11/23 投稿)
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昨日、丸谷才一さんの薀蓄エッセイは素晴らしい、と
書きましたが、あの多くの作品には、
もう一人、
忘れてはいけない人がいます。
イラストレーターの和田誠さん。
丸谷才一さんの文章はもちろんあれはあれで素晴らしいのですが、
和田誠さんの装丁と挿絵の組み合わせで、
その魅力が倍増、どころか三倍にも四倍にもなっています。
そこで、今日はその魅力を書評に書いた、
丸谷才一さんの『絵具屋の女房』の蔵出しです。
よく、「○○小論」とかありますよね。
でも、小にもならないので「微小」とタイトルをつけました。
結構長い書評ですが。
いつか、きっと
丸谷才一さんの全集が刊行されたりすることがあるでしょうが、
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なんとしても和田誠さんの挿絵は残して欲しいと
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絵具屋の女房 (文春文庫) (2007/03) 丸谷 才一 商品詳細を見る |
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おなじみ、丸谷才一さんの薀蓄エッセイ集の最新版である。
宮本武蔵は実在しなかった?!とか甘栗をめぐる歴史的?考察とか、話題そのものも楽しいが、丸谷さんの思考過程が満喫できる一冊である。
でも、どうしてこの本の書名が「絵具屋の女房」なのか。
和田誠さんが描いた表紙の絵具屋の奥さんを見るたびに気になって仕方がない。たまたまこの本の中にも「本のジャケット」というエッセイがあることだし、今回は「装丁」の話をしてみよう。
丸谷さんの本によれば、英語でカバーというのは本の表紙のことで、私たちが日頃本屋さんとかで見ている表紙を覆っているものはラパーというらしい(もうこれだけですごく得した気分になるでしょ?)。
丸谷さんの最近の本のラパーはほとんど和田誠さん(私は大ファン)の手によるもので、丸谷さんも満足しているようだ。粋っていう言葉を使っている。
この本からの孫引きになるが、アラン・パワーズという人がこんなことを言っている。「本は女と同じで、いいドレス・メイカーがついていても悪くない。いや、そのほうがいい」(72頁)。そこからすると、丸谷さんはとても仕合わせなもの書きだといえる。
最近で印象深い作品といえば、丸谷さんが十年ぶりに書き下ろした「輝く日の宮」のラパーである。あの本は内容もよかったが、和田さんの絵の方がもっとよかった(丸谷さんには悪いが)。
私の2003年の装丁ベスト1だ。物語の内容をそこなわず(つまりはラパーの役目がよくわかっているということ)、それでいて見て楽しむというイラストとしての魅力を失わない傑作である。
あの作品では表紙だけでなく、背表紙から裏表紙、そしてできれば折り返しまで広げて鑑賞してもらいたい。特に折り返しに光源氏らしい人物と女房を配置した(あえて表面から隠したとしか思えない)手腕は、物語以上に粋であるとしか云いようがない。
装丁というのは、あまりでしゃばるものではない。
本はやはり書かれた内容が優先する。あまり目立ちすぎると、裏ラパーについているバーコード・マークのように悪く言われるにちがいない(和田さんの偉いところは、あのマークに断固反対しているところで、自分の装丁にはつけさせないらしい)。
それでいて、イラストとしての魅力をださないといけないし、本の売れ具合にも影響するだろうから責任重大でもある。
私たちも本を買う時、そんな装丁家の苦労を少しでも理解すべきだろう。丸谷さんも「本のジャケット」というエッセイの最後にこう書いている。「美を尊重し大切にするのは、人間として自然なこと。本好きな人なら、なほさらの話です」(75頁)。
それでこの本の書名のことだが、ここでいう「絵具屋」って和田さんのことで、「女房」が丸谷さんのことではないかというのが私の推理である。
いつもいい装丁をしてもらっている和田さんをひきたてて、自分はあなたの奥さんみたいなものです、と丸谷さんは和田さんに賛辞を送ったのではないだろうか。
この推理、結構いい線いっていると思うのだが、いかがですか、皆さん?
(2003/11/23 投稿)
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