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プレゼント 書評こぼれ話

  今日は
  万里小路譲さんの
  『孤闘の詩人 石垣りんへの旅』を
  紹介します。
  この詩論では
  茨木のり子石垣りんの比較も考察されています。
  本文から引用します。

    家の貧困・窮乏が石垣りんの反骨精神を育んでいったが、
    一方、茨木のり子においては医師の家に生まれ経済的な豊かさが
    知的な内省を育んでいったと考えられる。

  対照的な二人の詩人が
  それでもまるで互いに共鳴しあったのは
  不思議なような気がします。
  この二人の女性詩人がいなければ
  現代詩の様相は
  まったく違ったのかもしれません。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  彼女が闘ったものとは                   

 詩人石垣りんの代表的な詩48編を読み解きつつ、この詩人がどのような人生を送ったのか、詩論と詩人論、それに評伝が合わさったような重厚な論考である。

 石垣りんは1920年に東京に生まれ、2004年84歳で亡くなった。
 彼女は今では考えられないが、小学校を卒業して14歳で日本興行銀行に就職、以来55歳で定年退職するまでそこで働き続けた。なので、「銀行員詩人」と呼ばれることもあった。
 この本の著者万里小路譲氏は、「あとがき」でなぜ石垣りん論を書こうと思ったかを自問し、こんなことを書いている。
 「不幸な境遇を生きたひとの熱情と気概を知りたいひとには、知ってほしい。どんな思いを抱いて生きたのかを。」と。
 ひるがえって、ではなぜ私は石垣りんの詩を読もうとするかといえば、14歳で仕事について55歳の定年までを全うした彼女の生き方とそのことがどういう感情を彼女にもたらしたのかを知ろうとして、と答えたい。
 だからか、石垣の「定年」と題された詩篇にひかれる。

 「ある日/会社がいった。/「あしたからこなくていいよ」//人間は黙っていた。/人間には人間のことばしかなかったから。」

 「定年」は当然ある日突然いわれるものではない。
 石垣もそれはわかっていただろうが、働きたいという思いがある「人間」を「会社」は人間の言葉でなくやめさせてしまう。
 石垣にはそれが理不尽であったのだろう。
 石垣の詩にはこの詩篇に限らず、理不尽なものへの反骨が感じられる。
 その強さが魅力ともいえる。

 本稿は石垣りんの詩論であるが、彼女と交友のあった茨木のり子を論じた章があって、それもまた興味深かったことを記しておく。
  
(2019/07/19 投稿)

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