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プレゼント 書評こぼれ話

  明日74回目の終戦記念日を迎えます。
  よく思うのは
  私が生まれた昭和30年というのは
  戦争が終わって
  わずか10年しか経っていなかったということ。
  私のまわりの大人たちのほとんどは
  戦争の悲惨さ
  戦後の苦しさを
  体感として持っていたのだということ。
  「戦争を知らない子供」ではあったけれど
  たった10年ほど前には
  戦争でたくさんの人が亡くなっていたという事実。
  先日『光のうつしえ』という作品を紹介した
  朽木祥さんの
  『八月の光』という連作短編集を
  今日は紹介します。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  生き残った人びとのために                   

 この連作短編集の作者朽木祥さんは1957年広島生まれの被爆二世である。
 だから、被爆地ヒロシマへの思いは深い。
 しかも彼女の作家としての主戦場は児童文学であるから、子供たちにもあの時のヒロシマを、戦争を理解してもらえるように、決して難しい語彙ではなく、明快に簡潔に物語を紡いでいく力が必要だ。

 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。ヒロシマ。
 「一瞬で7万の人びとの命が奪われた」。しかし、朽木さんはこの本でたった3つの物語を書いたにすぎない、という。
 「雛の顔」は不思議な予知の力を持っていると思われた真知子と、その母と、その娘、三代の女たちの物語だ。
 あの朝これから起こることを予知したかのように勤労奉仕に行かなかった真知子。多くの犠牲者が出た町内への遠慮から被爆間もない市中に真知子を送り込む母。美しかった母真知子が入市被爆で死んでいく姿を見つめる娘。
 「石の記憶」はあの日の朝用事で銀行に行くといったまま戻らない母と、その母を捜す娘の物語。
 娘が見つけたのは銀行の入り口の石の階段に残された、母の影。
 原爆は影だけを石に刻むほどの圧倒的な威力だった。
 三作目は「水の緘黙」。
 「緘黙」とは、口を閉じて何も言わないこと、押し黙ることをいうが、主人公はあの日のショックから自分が何者であるかも忘れようとする青年。
 しかし、あの日の悲惨な記憶は自分だけではないことを知り、犠牲者たちのことを覚えていようと決意する。

 朽木さんはこの物語の主人公たちは「過去の亡霊」ではない、未来の私たちだという。
 だから、忘れてはいけない。
 あの日のヒロシマのことを、犠牲となった人たちのことを、生き残った人たちのことを。
  
(2019/08/14 投稿)

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