06/24/2020 国盗り物語(二)斎藤道三 後編(司馬 遼太郎):書評「斎藤道三はいい蝮だったのか」

コロナ禍で
放送が休止となった
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。
その時間帯で
過去の大河ドラマのダイジェストを
放送しています。
この間の21日には1973年に放送された
「国盗り物語」でした。
この時の斎藤道三役は平幹二朗さん、
織田信長が高橋英樹さん、
明智光秀が近藤正臣さん、
ダイジェストでなく
全編見たい、そんな気分です。
今日は昨日のつづきで
司馬遼太郎さんの
『国盗り物語(二)』を
紹介します。
次からはいよいよ織田信長編ですが、
まだ読んでいないので
しばしお待ちを。
じゃあ、読もう。

新潮文庫版で4冊となっている長編歴史小説の2巻め、「斎藤道三 後篇」である。
最初に断っておくと、新潮文庫版で1、2巻が「斎藤道三」で3、4巻が「織田信長」となっているが、この2巻めで斎藤道三が姿を消す訳ではない。
この巻でようやく幼いうつけ者信長が登場し、道三の娘である帰蝶の婚礼が整う前夜あたりまでが描かれているから、このあともまだ道三は描かれることになる。
司馬遼太郎さんはこの長い物語を雑誌に連載するに際して、道三のことを「妙な人物をかく」と記した。続けて、「奇人ではない。どこにでもいる。われわれの性根の内部にもいる」と書いた。
この巻では、自分の主人であった国守土岐頼芸を美濃の国から追いやる「蝮」の道三の姿を描いているが、そういう悪のような部分も「われわれ」の内部にあると司馬さんは見ていたのかもしれない。
さらにいえば、この歴史小説の合間に「斎藤道三という苛烈な「悪人屋」を書こうとしたのは、自分へのけいべつから出発しているらしい」と、自身の内情まで吐露している。
斎藤道三には悪だけではない、人間としての魅力が濃厚にある。
斎藤道三という人物が面白いのは、彼ひとりではなく、彼の「国盗り」がふたりの「弟子」によって引き継がれていく点にもある。
ふたりの「弟子」。すなわち娘婿の織田信長と、道三の妻の甥の明智光秀である。
この二人がその未来においてどう交わるか歴史の事実として知っている読者にとって、わくわくしないはずはない。
いずれにいても、この巻ではまだ道三は生きている。
(2020/06/24 投稿)

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