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プレゼント 書評こぼれ話

  今回紹介する佐野眞一さんの『新忘れられた日本人』は、
  民俗学者宮本常一の名作『忘れられた日本人』から題名を
  とったものだが、
  もともとは週刊サンデー毎日に50回にわたって連載されていました。
  佐野眞一さん自身、
  「肩のこらない読み物」と書かれていますが、
  ひとつひとつが短文なので読みやすく、
  それでいて刺激的です。
  ノンフィクション好きな人にはぜひ。
  私はノンフィクションがどちらかといえば、
  好き。
  創作ではない緊迫感が面白いし、
  偶然というだけでは表現できないドラマがいい。
  最近そのノンフィクションに面白い作品が少ないのが
  淋しいですが、
  ぜひ上質な作品を読みたいと願っています。

  じゃあ、読もう。

新忘れられた日本人新忘れられた日本人
(2009/07/18)
佐野 眞一

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sai.wingpen  脇役だって面白い               矢印 bk1書評ページへ

 一篇のノンフィクションを書くのに、書き手はどれだけの取材をするものなのだろうか。本書でとりあげられたさまざまな人物は、佐野眞一が「これまで書いてきた作品のなかから歴史の表舞台から消えていった脇役たち」だが、脇役というにはあまりにも面白い人物たちである。

 たとえば、佐野の代表作のひとつである、戦後の流通王国を築いたダイエーの中内功を描いた『カリスマ』は、もちろん中内功という稀有な経営者が主役であるが、本書で取り上げられた脇役の上田照雄の人生もまた一篇のノンフィクション足りうるほどに刺激に富んでいる。あるいは、照雄につづく息子という系譜も同じである。
 もちろん、中内という光があたらなければ、上田は神戸の一介の枝肉商で終わったかもしれない。逆に光が強すぎて、上田の人生そのものがゆがんだかもしれない。それらはすべて仮説だ。
 あるのは、ただひとつの真実だけだ。

 毀誉褒貶あるだろうが、歴史にその名を残しうるのはわずか一握りの人間にすぎない。多くは脇役であり、脇役にもいたらない大部屋役者であり、「忘れられた日本人」だ。
 ただいえることは、中内における上田だけでなく、江副浩正における父良之、正力松太郎における横道一郎といった本書のなかの脇役たちも、自らの人生においては主役であったということだろう。
 一篇のノンフィクションを書くということは、誰を主役にし、誰を脇役にするかという、過酷な峻別作業であり、人間の光と影の交わりを描くことだといえる。
(2010/01/22 投稿)

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