FC2ブログ
プレゼント 書評こぼれ話

  今日2月12日は
  司馬遼太郎さんの忌日、菜の花忌

    菜の花忌眩しき潮の流れゐる     角川 春樹

  もし司馬遼太郎さんが生きていたら
  このコロナ禍での
  政治や社会の混迷に対して
  どんなメッセージを出していたでしょう。
  今日は
  司馬遼太郎さんが総合誌「文藝春秋」に書き継いできた随筆
  『この国のかたち(一)』を
  再録書評で紹介します。
  2016年に書いたこの書評の最後に
  「果たして私たちは司馬の期待どおりの「この国」を持ちえただろうか。」と
  書いていますが、
  それから5年が経って
  司馬遼太郎さんの期待から
  さらに遠くにきてしまったような気がします。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  私たちは司馬遼太郎の火を消していないか                   

 この本は何度読んでも難しい。
 総合誌「文藝春秋」の「巻頭随筆」として1986年3月号から連載を始めたものがこのシリーズで、この一には2年分のそれが収められている。
 司馬遼太郎は23歳の時、終戦を迎える。その時、「なんとおろかな国にうまれたことか」と忸怩たる思いだった。
 「むかしは、そうでなかったのではないか」という思いがその後の作品を描いていく基本のトーンであり、「二十三歳の自分への手紙を書き送るようにして書いた」。
 手紙を書き続けることで感じたさまざまを「形象としてとりだし、説明的文体」で書かれたのが、この作品である。
 もしかすれば、もっとわかりやすい表現形式はあったかもしれないが、司馬が作品として描けなかった「昭和」を語るとすれば、これしかなかったのかもしれない。

 この巻の中で「-あんな時代は日本ではない。と、理不尽なことを、灰皿でも叩きつけるようにして叫びたい衝動」があると記した司馬。
 「昭和」という時代(戦前のそれ)を「鬼胎」の時代と呼んだ司馬は、長い連載の中で戦国時代や江戸時代、あるいは幕末、明治という彼がこれまでに見てきた歴史をたどっていくことで、まさにこの国のありようをみていく論考になっている。

 一方で、この1980年代後半の「この国」が置かれていた状況をみて、その将来を憂いている(「14 江戸期の多様さ」)のも、司馬という一人の作家を考えた場合、重要な視点となる。
 晩年の司馬はしばしば「この国」の審判官のようであったことを思い出す。
 この国の未来を司馬が一人で背負っているような悲壮感さえあった。
 司馬もまたそれに実直に答えようとした。
 この作品もそんな司馬の成果物としてある。

 我々日本人を司馬はこう表現している。(「15 若衆と械闘」)
 「日本人はつねに緊張している。ときに暗鬱でさえある。理由は、いつもさまざまの公意識を背負っているため、と断定していい」。
 東日本大震災のあとの被災者たちの姿そのものといえる。もちろん、司馬はその時にはもういなかったのだが。
 果たして私たちは司馬の期待どおりの「この国」を持ちえただろうか。
  
(2016/03/23 投稿)

    芽 「ブログランキング」に参加しています。
     応援よろしくお願いします。
     (↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 今日もクリックありがとうございます)
 
    にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

レビュープラス
Secret

TrackBackURL
→http://hontasu.blog49.fc2.com/tb.php/4605-dfeca62e