04/15/2021 神保町「ガロ編集室」界隈(高野 慎三):書評「「ガロ」から生まれた漫画がいっぱい」

今日は
高野慎三さんの
『神保町「ガロ編集室」界隈』という本を
紹介します。
表紙の絵をみて
林静一さんだとわかった人は
おそらく「ガロ」という名前だけで
胸ふるえるんじゃないでしょうか。
林静一さんといえば
「赤色エレジー」の作者。
その漫画を歌にしたのが
あがた森魚さん。
書評に「COM」のことを書きましたが
私は実はその「COM」派。
「ガロ」に掲載されていた漫画は
ちょっと苦手でした。
それでも、つげ義春さんの漫画文庫なんか
買ったりしてましたが。
じゃあ、読もう。

漫画雑誌「ガロ」は不思議な雑誌だ。
「少年マガジン」や「少年ジャンプ」のように百万部のセールスをしたわけでもないのに、そのブランドは今でも当時のことがこうして文庫本となるくらいだ。
「ガロ」が創刊されたのは昭和39年(1964年)の9月。
今や伝説の編集者といえる長井勝一が白土三平の「カムイ伝」の連載を主たる目的で作られた。そもそも「ガロ」という誌名も白土の作品に登場する忍者に由来するらしい。
この本は1966年に「ガロ」を発行していた青林堂に入社し、「ガロ」の編集に携わって庁舎が、当時の社会情勢や「ガロ」の名前を不動のものにしていく漫画家たちの姿を点景のように綴ったものだ。
「ガロ」の漫画家たち。なんといっても、白土三平。そして水木しげる。
そして、つげ義春、池上遼一(この二人は水木のアシスタントもしていた)、佐々木マキ、滝田ゆう、林静一と、名前を連ねるだけで、「ガロ」だと感じさせる。
そのことを著者の高野慎三は本書でこう書いている。
「『ガロ』の周辺は、“世間の目を気にしない”ということにつきる。ありていに言えば、余計なプライドが働かなかったのだとも言える」。
その典型が、つげ義春だったのではないだろうか。
「漫画の神様」手塚治虫は「ガロ」から遅れること2年半、「COM」を創刊するが、もちろんそれは白土の「カムイ伝」を意識した上だろう。
このまるで性格の違う二つの雑誌は昭和40年代のマンガ界を牽引したことは間違いない。
(2021/04/15 投稿)

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