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プレゼント 書評こぼれ話

  今日紹介する
  野原一夫さんの
  『回想 太宰治』は
  おそらく最初に出版された1980年に読んだと
  思います。
  当時二十代半ばの私は
  まだ太宰治にしびれていたように思います。
  そんな作品を
  読み返してみようと思ったのは
  先に紹介した
  森功さんの『鬼才 伝説の編集人斎藤十一』という作品に
  太宰治野原一夫さんの名前が
  出てきたからです。
  そういえば、
  野原一夫さんに太宰治を書いた作品があったなと
  思い出したのが
  この本でした。

  じゃあ、読もう。

  

sai.wingpen  そばにいたものしか書けなかった太宰治                   

 「太宰治が死んだとき、私は二十五歳の若者だったのだが、その死の前のおよそ一年八ヵ月、それこそ三日にあげず、私は太宰に逢っていた。」と、平成10年の「太宰治歿後五十年に際し」という文章に、この本の著者野原一夫さんは綴っている。
 そんな野原さんだからこそ書けた晩年期の太宰治の姿を綴ったこの作品は1980年に初版刊行されている。

 野原さんと太宰との邂逅は、まだ日本が太平洋戦争に入る前で、野原さんは旧制高校の学生だったそうだ。
 その後、大学生になった野原さんは自身の小説を太宰に読んでもらったこともあるという。
 しかし、戦火の拡大で二人の交流は途切れる。
 戦後野原さんは新潮社に入社。時の「新潮」編集長であった斎藤十一との会話で太宰のことが持ち上がって、斎藤の「すぐ連絡を」の強い勧めで再会を果たすことになる。

 それからの二年近い日々の太宰の姿は興味深いが、やはり胸をうつのは太宰と心中相手となった山崎富栄の死の場面だ。
 二人の行方がわからなくなったのが、昭和23年(1948年)6月13日。野原さんや何人かの親しい編集者が雨の中を当時「人喰川」と呼ばれた玉川上水沿いを懸命に探しまわる。
 そして、19日の早朝二人の遺体が発見される。
 この時二人は紐でつながれていたといい。それを野原さんたちは切ったとも書いている。
 誰もが太宰の遺体を優先するなか、富江の遺体に傘を差しだす彼女の父親の姿など、その場にいた野原さんだから書けたのだと思う。

 野原さんは平成11年(1999年)に亡くなっているが、よくぞ太宰の最後の日々を残してくれたものだ。
  
(2021/06/09 投稿)

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