
落語家の柳家小三治さんが
10月7日に亡くなりました。81歳でした。
柳家小三治さんの印象といえば
ずっと昔にテレビの人気者だった頃のものがあって
人間国宝だといわれても
なかなかピンときませんでした。
晩年の公演時の様などをテレビで拝見していると
なんというのか
あの間というかとぼけた感じがもう名人芸で
話さなくても面白い、
そんな域にまで達していたように思います。
柳家小三治さんには
とても素敵な自伝があって
今日は追悼の意味で
その本を紹介します。
『どこからお話ししましょう 柳家小三治自伝』。
じっくり聞いて(読んで)下さい。
柳家小三治師匠
ありがとうございました。
ご冥福をお祈りします

落語家の柳家小三治さんが10月7日に亡くなりました。
とぼけた風合いの噺家という印象がありましたが、人間国宝にもなったほどですから落語界の大看板でした。
その小三治さんが自身の生い立ち、初恋、今でも語り草になっている素人が挑戦するラジオ寄席での15週連続勝ち抜き、高校卒業後大学進学を希望する両親(何しろ父親は小学校の校長でした)のすすめを蹴って、五代目柳家小さんに入門。
そして、そのあとに出会った多くの人たちとの交流。
さらには、大好きだった映画やバイクのことなど、話は多岐にわたる。
卒寿を機に2019年12月に刊行された「自伝」であるが、よくぞ残して頂いた、という貴重な一冊である。
「人間を理解できなきゃ、落語はできない。落語は人生の、社会の縮図ですから」と、小三治さんは語る。
お笑いを商売にしている噺家だが、時に話は哲学的にさえ思えてくる。
「なにをもっておもしろいっていうんだろう、噺のおもしろさっていうのはなんだろう。おもしろいって一体どういうことなんだろう」
小三治さんはこんなことを考えていたのかと、ハッとさせられる。
芸の話以上に考えさせられたのが、母親とのこと。
小三治さんは「おふくろは、私の一生のテーマ」とまで語るが、決していい意味ではない。
「あの世へ行っても仲良くなれない」なんて、愛憎そのもの。
小三治さんの芸が生まれたその根っこのところに、母親へのこんな気持ちもあったのかと思うと、怖さすら感じる。
(2021/10/29 投稿)

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