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 中島みゆきが「アザミ嬢のララバイ」でデビューしたのが1975年。
 私が二十歳の頃だ。
 同じ年に「時代」が第6回世界歌謡祭でグランプリを受賞。
 「時代」は今に歌い継がれる「日本のうた」になる。
 当時大学生だった私は、中島みゆきの歌がFMで流れるたびにカセットで録音したものだ。
 その頃だった、友人から「暗い歌だな」と言われたのは。
 中島みゆきよりもっと暗い、山崎ハコにもハマっていた私は、
 決して中島みゆきを暗いとは思っていなかったが。

    

 それから半世紀近い歳月が経とうとしている。
 私が過ごしてきた時間とともに歩んでくれたように、中島みゆきの歌はあった。
 その時々で、同じ涙を流し、そっと目をふせ、時に励まされ、時に怒りにふるえた。
 その力は、中島みゆきが書いた詩の力といっていい。
 決して研ぎ澄まされた言葉ではなく、だから心を寄せあえる。
 中島みゆきの詩の力だ。
 
  「こんな言葉を 今どきわかる人がいるかしら
   言葉は変わる 暮らしは変わる」  (「終り初物」)

 それでいて、これは中島みゆきの歌でもある。
 メロディが詩からわきあがる瞬間を、この『中島みゆき詩集』を読みながら、
 何度感じただろう。

  「まわるまわる時代はまわる
   別れと出逢いをくり返し」  (「時代」)

 この詩からメロディを消すことは、
 私にはできなかった。
 もしかしたら、中島みゆきの詩を純粋に詩として読む世代が生まれるかもしれないが、
 私はメロディがわきあがる詩があっていいと思う。

 この詩集の「巻末エッセイ」は、
 同じ北海道出身の直木賞作家桜木紫乃が書いている。

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